ずっと実行したいと思っていた、宇治発電所導水路の全線ウォーク。
そのウォークを、2014年の4月19日(土)についに行うことができました。

ネットでは宇治発電所導水路のことを取り上げたHPが多くありますが、石山制水門から宇治発電所放流路まで全てと、そして竪坑や水圧鉄管などの関連施設までを網羅して紹介するサイトは、私が調べた範囲ではありませんでした。

そこで、宇治発電所導水路全線と、3つの竪坑、そして以前に訪問して写真を写した宇治発電所の水圧鉄管などの諸施設と関連施設。
それらを全て網羅して、宇治発電所導水路と宇治発電所を紹介することにします。

宇治発電所導水路と竪坑(立坑)・発電所施設完全ガイド
       ~100年前から今に至る歴史に思いをはせて~



瀬田川洗堰の少し北側。
そこに、宇治発電所の石山制水門があります。



「関西電力株式会社 宇治発電所石山制水門」と書かれていたはずの門柱。
2014年4月19日(土)に訪問した際には、なぜか何も書かれていませんでした。



制水門付近から導水路を眺めます。



少し歩いて振り返り、導水路から制水門方向を眺めます。



導水路の上には小さな橋がいくつもありますので、右岸左岸ともに自由に歩くことができます。
左岸から右岸に渡り、導水路沿いの道を京都方向に進みます。
正面に見える山は、袴腰(はかまごし)山という名がついています。



導水路に架かる橋の上から、制水門方向を望む。



同じ橋の上から、下流側の流入口方向を望む。



第一随道の流入口。
さてここからは、しばらく導水路とはお別れ。



さすが水力発電の地、大きな電力施設がありました。
湖南変電所です。



南郷中学校前を通過。
山の中を歩くので地道だと思っていたら、ずっと舗装路。
膝に負担がかかりそうな歩きになってしまいました。



京滋バイパス沿いをずっと歩いてきましたが、ここでバイパスをくぐります。
そろそろ天ヶ瀬ラインに入るのかもしれません。



予想通り天ヶ瀬ラインに出ました。
瀬田川に架かる南大津大橋の北詰です。



南大津大橋北詰から瀬田川を下流側に200メートルほど進むと、瀬田川に流れ込んでいる川があります。
その川を渡る橋の手前に右折する道があるので、右折してその道に入り100メートルほど進むと、第一随道出口と第二随道流入口があるこの場所に至ります。
第一随道出口から、第二随道流入口方向を見ます。



黒いネットで覆われ導水路の水は写真ではよく分かりませんが、ネットの下で激しく渦巻く流れが視認できます。
激しい水の流れが、第二隧道流入口に吸い込まれるように入っていきます。



第二隧道の流入口付近に建つ「殉難碑」。
蹴上発電所の6~7倍の出力を持つ宇治発電所は、日本の大容量水力発電所の草分け的存在。
琵琶湖から宇治までの高低差60メートル、延長距離10.985kmでそのうちの10.019kmは隧道。
そしてその隧道の掘削はほとんど人力で行われ、その工事は難渋を極めました。
難工事の末に完成した宇治発電所導水路ですが、それから月日が流れた1955年(昭和30年)7月10日に第三隧道の拡幅工事中に落盤事故が発生し、13名の方が生き埋めになられました。
この殉難碑は、その時の落盤事故で犠牲になられた方のために建立された慰霊碑。
碑の表には「殉難碑」、そして裏には1955年(昭和30年)7月10日の事故で亡くなられた13名の方のお名前が刻まれています。
碑は高さ1.33メートルで、1955年(昭和30年)9月15日に建立されました。
事故直後の新聞記事では この事故の人的被害が「12名死亡1名重症」と報道していますので、重症だった1名の方もその後 落盤事故が原因でお亡くなりになったことが分かります。
殉難碑の前で、心を込めて手を合わせます。



再び瀬田川沿いの道に戻り1kmほど右岸を下流に向かって進むと、瀬田川に流れ込む川がもう一つあります。
その川を渡る橋の手前に、右に行く道があります。
鴻池建設・大津砕石工場へ行く道で、そこを右折しほんの30メートルほど進んだ場所に、第二隧道出口側と第三隧道の流入口が。
ネット上ではこの場所を「採石場近く」と書く紹介もありますがそれは間違いで、「採石場」ではなく「砕石工場」なのです。
第二隧道出口側から見る、第三隧道の流入口。
ここにはネットは張られていません。

第三隧道に縁があるのはここのはずですので、本来なら先ほど見た慰霊碑はここに建てられるべき。
でも、何らかの事情でここに建てられなかったんでしょうね。
この辺り一帯が、会社の私有地だからなのかもしれません。



第三隧道の流入口。
扁額があったような感じですが、もしもあったとしたら取り外されたか劣化して崩落した模様。




再び瀬田川沿いに戻り、右岸を進みます。
第二隧道と第三隧道があった場所から2~300メートルほど下流に向かって南進すると、瀬田川に流れ込む川を渡る橋が。
その橋を渡るとすぐに、右側に曲がる道があります。
アクトパル宇治や笠取小学校方面に行ける道ですが、そこを右折して100メートルほど進んだ場所に、次の目的地がありました。
第四隧道流入口側から、第三隧道出口方向を望む。
ここには結構長い露出型の導水路があります。



トンネルからいきなり煙のようなものが噴出してきたら驚くでしょうね。



第4隧道流入口側の煉瓦製構造物。



再び瀬田川沿いに戻り、曽束大橋に到着。
第4隧道流入口からここまでは導水路が地表に出ている部分はありません。



曽束大橋右岸側。
車止めがあります。



右側の道路は、二尾方面へ行く舗装路。
二尾に行く舗装路でなく、車止めがある下の平坦な地道の方へ進んで行きます。
これから進む道は、地図で見ると1km弱で行き止まりになっています。
また、ずっと進んでいくと実際に行き止まりです。
曽束大橋に来ることはあっても絶対に入っていくことはない道、と言うよりこんな道があることを普通は視覚的に認識しないかと。
この奥は、2012年に京都府南部に大きな被害をもたらした水害で崩落している部分が数多くありますので、細心の注意と そして自己責任で行動してください。
危険性を考えると、決して「お勧め」ゾーンではありませんので念のため。



すぐに、二の尾川に到着。



久留美橋。
「くるみばし」と読むんでしょうか。
とっても可愛い名前です。



崩落個所。
好天であれば、さほどの危険はない模様。
ただし、この辺りは完全な無人。
付近に民家はおろか、車が通ることさえ絶対にありません。
何があっても全て自力で解決しなくてはなりませんので、行動は慎重に。



崩落の状態。
写真では分かりにくいですが、コンクリート擁壁の土台部分の土砂が全て流された状態。
かろうじて擁壁だけが崩れずに頼りなげに立っています。
土台部分は完全に宙に浮いています。



久留美橋を渡ってから、二の尾川の上流を見ました。
すると!
二年前の水害でえぐられた河原と、そしてその向こうには宇治発電所の竪坑をらしきものが見えているではありませんか!



胸の鼓動を抑えながら近づきます。
竪坑です。
間違いありません。



100年の時を経て今なお現役で活躍する宇治発電所関連施設の竪坑をついに目にすることができました。
間近で眺め、煉瓦の感触を手で確認。
この竪坑の名前が分からないので、勝手に「宇治発電所導水路・第一竪坑」と名付けます。(以下、この竪坑を「第一竪坑」と呼びます。)
導水路で一番最初にある竪坑であり、そして琵琶湖疏水の第一竪坑に形が似ているので、そう呼ぶことにします。



第一竪坑上部。
第一琵琶湖疏水の第一竪坑はかなり大きいので近くに行くと上部を確認することはできませんが、宇治発電所導水路の第一竪坑は小型なので近くに行っても上部を見ることができます。



上部には金属製の蓋が設置され、鍵がかけられています。
そう、この下には60㎥/sもの水が流れているから、転落したらひとたまりもありません。
大きな第一竪坑が設置されている第一琵琶湖疎水の流量が8.35㎥/sであることを考えると、この宇治発電所導水路の60㎥/sという水量がいかに大きな流量であるかが分かります。
上部に乗ることができる高さのこの竪坑は、極めて危険なのです。



第一竪坑をあとにして、次の竪坑を探しに瀬田川右岸を更に下流側に向かって進みます。 
左後ろには、曽束大橋の姿が。



道自体はさほど歩きにくくありませんが、2年前の水害で崩落した個所が何ヵ所もあり気をつけなくてはなりません。
この部分は平坦なように写真には写っていますが、そうではありません。
道の半分ほどが瀬田川に崩れ込んでいる急傾斜。
名前は瀬田川ですが、実質的にはもうダム湖。



ここも、道の半分ほどが瀬田川に崩れ込んでいる急傾斜。
しかも上の写真の場所と異なり崩落部分の下には足場がなく、ここでスリップしたら、即 瀬田川(ダム湖)へ転落。
ダム湖に転落しても、絶対に誰も助けてくれません。
と言うか、そもそも誰もいません。
遠い対岸の左岸道路を時おり車やバイクが走りますが、急カーブが続く道を運転しているドライバーはのんびり対岸のこちら側を見る余裕などないはず。
godzillaはカナヅチでなく、水着を着て泳ぐ準備をした上でなら何キロメートルでも泳ぎ続けることはできます。
でも着衣泳の経験はほとんどないし、転落というアクシデントを経たうえで極めて水深が深い水中に落下した場合、果たして落ち着いて泳げるかどうかは未知数。
だから絶対に転落しないように気を付けなくては。



う~ん、なるほど。
でもこの注意書きを誰が読むんでしょうか・・・・。
誰も読む人など通らないと思いますが。
それに、水深が極めて深いこのダム湖に足をつけて水遊びするような人も、まずというか絶対にいないことでしょう。
またどうせなら、「貯水池」「水位」「発電」にも読みかなをつけたらいいのに。
この読みかなのつけ方はあまりにも不完全で、漢字を読めない子どもなどには「何が上がり下がりするか。」が分かりませんよね。
今はここに子どもだけが来ることはまずないと思いますが、以前はもっと賑わっていて子どもも多く来ていた時期があったのかもしれません。
もっともそれは、極めて危険なことですが。
となると、この読みかなは一体何のために付けられているのかな??



曽束大橋から500メートルあまり歩いたでしょうか。
足場が悪く結構歩くのに時間がかかりましたが、前方に手すりのようなものと その下にコンクリート製の構造物が見えてきました。



竪坑らしきものを発見!



近づきます。
間違いなく竪坑です。



管理用と思われるパイプ製の橋を渡ります。



間近へ。
この竪坑でも、煉瓦の感触を手で確かめます。
この竪坑も名前が不明。
導水路で二番目の竪坑であり、そして琵琶湖疏水の第二竪坑に形が似ているので、私が勝手に「宇治発電所導水路・第二竪坑」と名付けます。(以下、この竪坑を「第二竪坑」と呼びます。)



いいですねえ・・・・
実にいい!
100年の時を経ても凛々しく立つ第二竪坑の姿は最高。



第一竪坑と第二竪坑では、形に大きな違いがあります。
第一竪坑は割と幅広なのに対し、第二竪坑は縦長。
その特徴は、第一琵琶湖疏水の第一竪坑と第二竪坑でも同じ。
なぜ、当時の建設では第一竪坑と第二竪坑とで形が違うんだろう・・・・?



逆光で。
こうして逆光で写真を撮ると風情が出ますね。



今日は朝から病院に行っていたので、曽束大橋に着いたのは午前10時を回っていました。
そして、今の時刻はもう午前11時前。
今日は昼食までに全ての調査を終えたいので、先を急ぎます。
第二竪坑とお別れ。
蛇足ですが、地図通りここで道は行き止まりでした。
ここから急峻な傾斜になっていて、道はありません。
仮に草を分けつつ強烈な坂や崖を上がって行ったとしても、宇治発電所導水路関連のものがある可能性はほぼ皆無。



第二竪坑付近にある施設。
導水路関連施設であることは確実ですが、何の施設なのかまでは分かりません。



施設上部にある金属製のスノコ。
中を見るとかなり深く、そして大量の水が。
スノコの上には乗らないことにします。
転落することはまずないと思いますが、念のためです。



いったん志津川へ戻りそして炭山方面へ少し上がり、第四隧道出口と第五隧道流入口がある場所へやって来ました。



第四隧道出口方向を望む。
写真では分かりませんが、肉眼では水が激しく流れていることが視認できます。



第四隧道出口をズーム。



露出水路の一部に突起がありました。
水路を覆う網のようなものに、激しい流れが隧道に当たり発生した水しぶきが当たるからなのかもしれません。
常に網が水で濡れた状態だと、劣化が早いからなのでしょうか。



第五隧道流入口。



導水路遠望。



志津川をあとにして、明星町へ。
ここ明星町にも、竪坑があるはず。
住宅地の南側にこんな道があります。
頭上の低いところに延びる送電線が、ここが水力発電の地だということを物語っています。



探していた竪坑を発見!



宇治発電所導水路の「第三竪坑」です。
他の竪坑のような地表に出ている部分が全くなく、しかも煉瓦製でなくコンクリート製。
竪坑なんかには見えないかもしれませんが・・・・。



近寄ってよくよく見ると・・・。
コンクリートが割れた部分から、その下の構造物である煉瓦が見えています。
これが竪坑であった可能性は濃厚。
あくまで想像ですが、付近の明星町の住宅地が造成される際、この第三竪坑の地表から上の煉瓦部分が撤去され、そして強固な蓋が設置されたたあと、上からコンクリートが塗られてこのような姿になったのでは。
その主目的は、子どもが竪坑付近で遊んでいて転落する危険性を少なくするためと、そして住宅地の地下に大きな水路があることを分かりにくくするため?
全て想像なので、実際のところは分かりません。



先ほど訪れた第三竪坑から直線的に進むと、そこには宇治発電所はありません。
宇治発電所に水が流れていくため、第三竪坑から水路の方向が変わります。
そして、導水路が流れを変えてから大吉山の中腹に掘られた隧道に流れ込むまでに、もう一か所 導水路が地表に出ている場所があるはず。
そこで付近を探すと、こんな施設を発見。
下から見ますが、中の様子がほとんど分かりません。
この施設が、導水路が地表に出ている場所の可能性が高いと思えるものの確認は不可能。



近くには、施設の管理用に使われていたと思われる古い木造の建物が。



非常に味がある建物です。
でも今はそんなことはいいとして。
施設が何であるか調べなくては・・・。
と言うか、すでにそのことは計画してあります。
ここから源氏物語ミュージアムまで行き、そしてこの施設の上を通って志津川に至る道に行く予定です。
この施設が宇治発電所の導水路かどうか、今の時点では不明。
でも間もなくそれは判明するはず。



と言うことで、源氏物語ミュージアム付近まで行き、そしてそこから志津川方面へ行ける地道に至り、再び歩き始めます。
源氏物語ミュージアム近くからこの道に入り途中にある墓地までは車が通れるだけの幅がありますが、墓地から先は車は入れない道幅です。
先ほどの施設の上までやって来ました。



施設へ下る細い道を発見。
下って行き、施設近くへ。
施設内には入れませんが、細い道を通れば施設近くまで行くことは可能。
水が激しく流れていることを確認!
間違いありません。
ここは、宇治発電所導水路の地上露出部分の一番最後の場所。



石山制水門からほぼ一直線に延びてきた宇治発電所導水路。
水は先ほど訪問した第三竪坑で北に流れを変え、はるばる滋賀県から流れてきた末にここで大吉山に掘られた隧道に入るのです。
そして宇治発電所の水車を回して、宇治川まで駆け抜けていく。
頑張れ!水たち。
いよいよ君たちの最大の活躍場に来たぞ。



他の場所と同じように、やはり黒いネットが張ってあります。



第五隧道出口。



第六隧道流入口。



発電所至近ゆえか、しっかりした設備があります。
ここで落ち葉などのゴミをしっかりと取り除かないと、発電の際に支障が出る可能性があるんでしょうね。



今までの水路露出部分には機械などは一切ありませんでしたが、ここにはこうした機械設備が。
でも機械設備はゴミ除去用のもので、水をポンプアップする施設は見当たりません。
石山制水門からここまでの高低差60メートルを最大限利用し、動力は一切使わずに発電用の水がここまで流れ そして発電所に流れ込んでいくのです。



大吉山近くの、宇治発電所導水路の開口部を探そうと思えば、こんなものが目印になります。
この案内板の付近に先ほどの施設近くへ行く細い道があります。



宇治発電所から宇治川に水が流れ込む流れに架かる観流橋までやって来ました。
ここに宇治発電所の入口がありますが、当然ながら立ち入り禁止。



現在の宇治発電所は無人。
発電は、天ケ瀬発電所から遠隔操作で行われています。



宇治発電所が見える場所がないか探します。
興聖寺境内へ。



宇治発電所の水圧鉄管を発見。



100年を経て、未だにこの迫力。
素晴らしい・・・。



宇治発電所。
発電を終えた水が流れ出る吐出口上にはレールが。



興聖寺の南側にある大吉山登山道へ。
登山道から少し道を外れた所にはこんなものが。
宇治発電所関連施設です。



レンガ造りの隧道入口。
内部からは水音が響いてきます。
隧道内部の竪坑から、発電用水の流れに転落する危険性があるので絶対に入ってはいけない施設です。



レンガ造りの隧道上部に来てみました。
こんなものが。
空気抜き用の設備だと思われますが、詳細は不明。



ズーム。



ズーム。



先ほどの隧道入口の反対側と思われる隧道入口。



さすがにここまで来る人はあまりいないんでしょうね。
立入禁止の標識はありません。
でも危険性は同じ。
竪坑に転落する危険性があるので、絶対に隧道内部には入ってはいけません。



隧道入口があった場所から少し下ると、水圧鉄管の最上部がありました。
ということは、先ほどの隧道は水圧鉄管最上部の端から端までを結ぶラインに掘られたものだということになります。
レンガ造りの隧道は、最もメンテナンスが必要な「導水路が水圧鉄管に変わる部分」の管理用に造られたものなのかもしれません。



巨大な水圧鉄管。
写真では確認しづらいですが、5連装です。(専門的には水圧鉄管5本のことを「5条」と呼ぶようですね。)
この水圧鉄管の中を、瀬田川からはるばる11kmもの距離を流れて来た水が通っています。



まだ電気が十分に普及していない大正2年。
営業運転を始めたこの宇治発電所で作られた電気は、京阪電車・宇治線を動かし、宇治に電灯をともし、日本レーヨン(今のユニチカ)の工場誘致の原動力になるなど、宇治の発展に大きく寄与したのです。



水圧鉄管を眺めながら、水圧鉄管に沿って標高を下げます。
下りきる直前に下を見ると、宇治発電所の建物が見えてきました。
宇治発電所を紹介する写真は多くありますが、この位置から見た建物の写真を私は見たことがありません。
こんな建物があるんですね。



下りすぎて、大吉山登山道へ戻れないことに気づきました。
大吉山登山道へ出るため、少しだけ戻ることに。
階段がありました。
発電所建設当時の階段である可能性が濃厚。
階段を上ります。



大吉山登山道に出ると、そこは興聖寺側の登山道ではなく宇治上神社側の登山道でした。
大吉山頂を経ることなくショートカットで、興聖寺側登山道から反対側の宇治上神社側登山道に出てきたようです。
登山道を少しだけ下って宇治上神社へ到着し、参拝。
宇治上神社は、世界文化遺産に指定されています。
なお、写真は宇治上神社の本殿や拝殿ではなく、小社です。
宇治上神社の拝殿には、2014年春に長男の子どものお宮参りで行きましたが、とってもいい感じでした。



宇治上神社境内の南側からも、宇治発電所の建物が見えています。
と言うより、この写真の場所と そして私がいる宇治上神社境内とは、フェンスで仕切られています。
だから、写真に写っている敷地は、宇治上神社境内でなくもう宇治発電所のものなのかもしれません。



宇治上神社をあとに。
宇治上神社近くには、宇治発電所の建物がよく見える場所があるのです。
間近に見る宇治発電所の建物。
観流橋からずっと遠くに見えていた宇治発電所の建物が、実は宇治上神社近くにあるのです。
「景観上の理由から発電所を見えにくくして建設した。」と以前聞いたことがありますが、詳細は不明。



以下、非公開となっている宇治発電所の建物。
レールを発見。






夕日に染まる宇治発電所。
建築から100年以上経過しているのに、現役の発電所として活躍しています。
宇治発電所の認可最大出力:32500kWという数字は、黒四発電所の認可最大出力:335000kWと比較するとおよそ10分の1。
でも、大正2年という竣工時期を考えると、先人の素晴らしい技術の高さに驚嘆します。



宇治発電所のメインの建物は2棟。






吐水路をズーム。
隧道中心の導水路を11kmも流れてきて、そして発電の役目を終えた水。
その水が、ここから観流橋に流れていくのです。
観流橋付近では釣り人を数多く見かけますが、その理由が分かりました。
琵琶湖・瀬田川の魚たちが、直接ここに流れてくるのです。
きっと観流橋付近では、琵琶湖に生息する魚が多く釣れるんでしょうね。



宇治上神社をあとにして、再び観流橋へ。
橋の下の流れ。
石山制水門から流れてきた水が宇治発電所で発電の役目を終え、宇治川に流入していきます。



観流橋をあとにして塔の島へ。
塔の島から、先ほど行った観流橋を眺めます。



観流橋をズーム。



念願だった宇治導水路を追うウォークが実現できました。
そして宇治発電所導水路のことも、私ができる範囲限定ですが最大限の調査が行えました。

関連する隧道や施設はきっとまだ他にもあることでしょうが、私の宇治発電所導水路の調査はとりあえずこれで一区切りつけようと思います。
他にも色々と興味がある場所があるので、そこを周ったり調べたりする時間が必要なので。

それにしても。
志津川発電所跡や今回調べた宇治発電所の関連施設など、宇治やその近辺には歴史ある建造物が実に多くあることに驚かされます。
このレポートが、皆様の宇治発電所導水路探索の参考になれば幸いです。

なお、くどいようですが。
安全にとことん徹しつつ 先人の歴史遺構に触れてくださるようお願いいたします。
先人の歴史遺構に触れれば触れるほど「危険な場所もいっぱい。」と感じるようになってきた、godzillaからのお願いです。



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