今日は、職場で会議があります。
今日の勤務では賃金が発生するのは午後1時半からですが、会議は朝11時から。

しばらく歩いていなかったので、通勤往路はウォークで行うことにしました。

本日のウオーキング歩数、約15,000歩。(万歩計を持参せず)



2016年11月9日(水



京阪電車宇治線の宇治駅近く。
こんな石碑があります。
菟道と書いて「うじ」と読みます。



古都宇治には、駅前にこんなものが普通に存在しているのです。
座像は東屋観音とも呼ばれています。
ただ、座像がなぜこんな場所にあるのかは不明だとか。



説明。
座像は鎌倉時代のもののようです。



ここは、源氏物語宇治十帖の東屋にちなんだ場所になっています。
源氏物語自体が実話ではなく架空の小説なのですが、源氏物語五十四帖のうちの最後の十帖が宇治を主な舞台として書かれているため、物語ゆかりの古跡としてこのような場所が10ヶ所定められ、今では観光名所となっています。



「なぜここにあるのかが不明」という座像。



旧道を北上し、JR奈良線の高架下をくぐります。
この辺りは、宇治川花火大会見物の穴場的存在。
この辺りだけはなぜか見物人がとても少なく、ビールなどの飲料の自販機も近くにあるからです。



三室戸駅近くにはこんな建物も。



京阪電車宇治線の線路。
レール幅は1435ミmmで、新幹線と同じです。



陸自宇治駐屯地内にある展望塔。
この場所は、旧陸軍造兵廠宇治火薬製造所として誕生。
日露戦争後には、火薬製造工場の分工場が付近に複数造られ、火薬ベルト地帯の一翼となっていました。
宇治の地も戦争とは無縁ではなく、むしろ戦争と大いに関係があったと言えます。
日中戦争開始直後の1937年には火薬庫が大爆発を起こし、宇治川対岸まで飛び火して対岸の左岸側でも火災が発生したようです。
話を戻します。
この展望塔は、陸軍砲兵工廠宇治火薬製造所の水槽塔として建てられたもの。
水槽部分の腐食が進み危険なため1981年には水槽部が撤去され、1996年に展望部分が設置されたようです。



旧道らしさが漂う石碑が。



石碑に彫り込まれた石仏。





久々の(限りなく短距離に近い)中距離ウォーク。
まずまずでした。
それにしても、古い歴史がある宇治は少し歩くだけでもいっぱい色んなものと出会うことができます。




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