暑い暑い今年の夏ですが、9月に入ると朝夕が少し涼しくなってきました。
また日中の最高気温も、35℃超が普通だった頃に比べると少し落ち着き、33℃くらいになってきました。

昨日は抜歯したので、昨日と今日は勤務を休んでいました。
でも抜歯した後の調子もさほど悪くなかったので、午前中の昼食前に2時間ほど槇島を歩きました。


本日のウオーキング歩数、約15,000歩。(万歩計が見当たらなかったので使えませんでした)



2016年9月1日(木)



JR奈良線の踏切。
単線の奈良線ですが、宇治〜新田間は複線化されています。



宇治戸ノ内付近。
蔵のある家が現存しています。



宇治市中心部では今ではあまり見かけなくなった、昭和を色濃く残す木造住宅。
でも、こうしてしっかりと残っています。



懐かしいですね。
こういう家のつくり方が。



国鉄奈良線の宇治駅から延びていた、日本レーヨンの引き込み線跡へ。
正面には、JR奈良線宇治駅の姿が。
でも、ここからは宇治駅には行けないのです。



宇治駅方向から、旧・日本レーヨン(現在のユニチカ)方向を望む。
引き込み線は右へ大きくカーブしており、ここからは旧・日本レーヨンへ引き込み線が入っていった位置が見えていません。



カーブに沿って進むと、引き込み線が旧・日本レーヨン構内へと延びていた位置に至ります。
引き込み線跡にはもう線路は残っていませんが、10年ほど前までは公道部分のみ道路を横断する線路部分が残っていました。
でも、いつのまにか撤去され、今はもう見ることはかないません。
「いつでも写せる」と考えて写真を撮っておかなかったことが、残念至極。



ユニチカのタンク群。



わが青春の1ページを飾った「末広食堂」の建物が売りに出されていました。
驚きました。
さほど以前ではないのですが、改装していたのを見かけたことがあるのに。
外壁の塗装が新しいので、改装工事を終えたことはほぼ間違いなし。
改装を終えたものの、客足がさほど伸びなかったから閉店したのでしょうか。
私自身がもう38年間ほど来ていなかったのですが、そうしたことだけでなくユニチカの衰退が最大要因かと。
ユニチカ宇治工場至近のここは、客の大半がユニチカの社員でした。
ところがそのユニチカが、業績の悪化などで宇治工場の規模縮小や移転統合を行い、宇治工場は以前と比較するとかなり小さくなって従業員数も激減してしまったからです。
そうそう。
ここには当時、20歳前の可愛い娘が働いていました。
由美かおるを更に可愛くしたような、活発な娘でした。
あの娘は今ごろどうしているのだろう・・・。
38年前で20歳前と言うことは、38+20=58。
ゲゲッ!
健在なら、もう58歳か。(T_T)
もっとも、他人ごとではありませんがね。( ;∀;)



1970年代中頃、政治の季節は既に終焉に向かいつつありましたが、まだまだ私たちは元気でした。
当時、政治闘争に参加していたgodzillaは、結構激しい街頭闘争を終えた後に仲間たちと共にここに来ては「総括」と言う名の飲み会を頻繁に開いていました。
ここで仲間たちと酒を飲んだ回数は数え切れません。
特によく食べたのが、メニューにはなく注文して特別に作ってもらう「ホルモン鍋」でした。
その時のメインの仲間のうち、二人がすでに他界してしまいました。
二人とも肝臓ガンでした。
当時、仲間内から「ビール飲み三人衆」と言われた中心活動家三人のうちの二人でした。
三人には、「恐怖のビール男」との異名もついていました。
二人欠けたビール飲み三人衆の残り一人は、何を隠そう実は私godzillaなのです。( ;∀;)
それまで毎晩ビールをたらふく飲んでいた私でしたが、ビール飲み三人衆のうち二人が肝臓ガンで他界という現実に直面し、それから少し経ってから週に3回だけの飲酒に変更しました。
だって、「ビール飲み三人衆」変じて「肝臓ガン三人衆」なんてのは、どう考えても嫌ですから。
もっとも、肝臓ガンの原因がビールだったのかどうかは不明ですがね。
週当たり3回だけの飲酒にした「その代わり」ということもないんですが、1日当たりではたっぷりと第三のビールやチューハイを今でもいただいています。



末広食堂から歩いて5分くらいの場所にある水門。
子どもの頃に観た風景が今でもこうして残っていることが嬉しい限り。



また水門が。
元々この辺りは低湿地だったため、水路とこうした水門があるのだと思われます。
農業に使うものなんでしょうね。
小学生高学年か中学生くらいだったでしょうか。
友人の家に遊びに行くのに、こうした水門を眺めながら歩いたり自転車で走ったりしたものです。



何本も水路はありますが、そのうち北進する水路に沿って歩きます
水路に50cmくらいの大きな魚が。
魚にはあまり詳しくない私ですが、おそらくこれはニゴイかと。



少し北進すると、再び水門が。



私にとっては原風景のようにさえ感じる建物。
煉瓦製の煙突は、間違いなく私が子どものころからここに立っていました。



そもそもここが何の建物だったかは、残念ながら記憶していません。
何となく「醤油工場」だったようにも思うのですが、全く確信はありません。



建物全景。
結構大きい建物です。



また少し歩いて、児童公園内にある槇島城記念碑へ。
逆光なので、写真は碑の裏側だけです。



槇島城の説明。
世間ではほとんど知られていない槇島城ですが、室町時代は実質的にこの地でのできごとにより終焉したのです。
本丸跡を示す碑は別の児童公園にあるのですが、時間がないため今日は寄りません。



ウォーク再開。
のどかな田園風景の向こうには、京滋バイパスの高架が。



高架に近づきました。
この付近で右折することに。



今のところ大きな災害がない京都府南部。
稲の作柄は、まずまずのようです。



中西伊之助?
初めて知った名前です。
こんな案内は以前にはありませんでした。
何となく気になり、帰宅して調べました。
すると、彼は小説家であり、偉大な労働運動家だったことが分かりました。



この辺りが、中西伊之助氏の生家があった場所だったようです。



槇島小学校創立の地。
今の槇島小学校は、ここから結構離れた場所に移転しました。



保育園と駐車場を合わせたくらいの敷地が、当時の槇島小学校の広さだったようです。
きっとその時代には、この程度の敷地で十分なくらいの少ない児童数だったんでしょうね。



更に歩きます。
こんな建物も、とっても懐かしい・・・。



特に、こうした菊水マッチのマークのような金具。
古い建物はよく見かけますが、この金具を今でも使っている建物は私の知る限りではここだけです。



地域の人達から大切にされていることが伝わってくる石地蔵。.



宇治川の水が地下から湧いている場所。
宇治川が増水すると、ここの水量も増えます。
以前は池がもっと大きかったはず。



宇治川左岸堤防に上がりました。
堤防上から、ユニチカ浄水場の鉄管を眺めます。
この鉄管も、私が幼かったころからありました。



宇治川左岸。
京阪電車宇治線の終点である、京阪宇治駅の独特な建物。
その右側には、JR奈良線の鉄橋と線路が。



再び左岸堤防下へ。
ひっそりとした歩道が延びています。



道が途切れたのでいったん左岸堤防上へ上がり、再び堤防下へ。
「巨椋池水のみち」に入り、モニュメント前へ。
これは実際の水門ではなく、水門のモニュメント。



巨椋池干拓田の説明。



「巨椋池水のみち」の説明。
薄汚れた状態で放置されています。



以前は水門前に噴水が出ており、更に巨椋池干拓田の水路を模した小さな水路には循環式の水が流れていました。
でも今はその両方とも、ありません。
完成当時には、ある程度の人通りがあったのかもしれませんが、今では人っ子一人通らないこの道。
だってこの短い道を通ってもどこにも行けないし、観るものも特にはありません
何のために、あるいは誰のためにこの道を造ったのか造ったのか理解に苦しみます。

観光の目玉どころか、観光資産にも絶対にならないしねえ・・・・。



JR奈良線の鉄橋下へ。
国鉄時代の鉄橋をそのまま使っている雰囲気が濃厚。



劣化が結構進んでいます。



JR宇治駅まで戻ってきました。
楽しかった私の小さな旅は、これにておしまい。
さて、帰宅して昼食を食べようっと。




あまりにも暑かったこの夏。
この夏の実質的なトレーニングウォークは、今回のウォークが初のものになりました。
それにしても。
宇治は素敵です。




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