2013年11月から2年5ヶ月にわたって就いてきた常勤臨時職員の職を、雇用期間終了のため今年3月末で退職。

退職を前にして行った就活で、4月1日からの仕事はもう決まっていました。
その仕事の募集条件は「宇治市内で勤務」ということだったのですが、勤務開始直前に「急な事情で」「しばらくだけ」という条件で、意に反して宇治市でなく京都市街地北西部での勤務が始まりました。
ところが、勤務開始から2ヶ月経っても一向に勤務場所が変わる気配なし。
勤務場所が遠いので、朝7時過ぎに家を出ても帰宅するのは午後3時半頃になってしまいます。
毎日8時間も時間をかけているのに、通勤往復と無給の1時間の昼休みを除くと時給が発生するのはわずか4時間のみ。
時給900円なので、8時間時間を費やしたにもかかわらず日給はわずか3,600円。
あまりにも費やした時間に対する収入が少ないので再転職を決意し、再就活を行いました。
その結果、次の仕事が決まりました。

そこで、10日ほど前の日付で退職届を会社に提出。
でも、「引継ぎなどで2週間ほど必要。」ということだったので、(次の勤務先にそれでもいいか確認したうえで)勤務期間を今日までに延ばした退職届を再度提出。
そしてついに、今日の勤務最終日を迎えました。

最後の勤務を終えて外に出るとを、かなり暑いものの最高の天気。
そこで、通勤で使っている京都市営地下鉄の一日乗車券を使って、太秦再探訪を行いました。



本日のウオーキング歩数、20,230歩、消費カロリー2,836kcal(うち活動消費カロリー1194.7kcal)、燃焼脂肪量50.5g。



2016年6月18日(土)



2ヶ月半あまり勤務した職場の最後の日の勤務が始まります。
完全な一人職場でした。
エアコンがよく効くこの部屋で事務をしたり休憩したりする以外は、室外での作業。
過去最高の暑さになると予想される今年の夏ゆえなのか、まだ真夏どころか梅雨も明けていないのに連日汗だくで、しかも蚊に刺されまくり。
勤務を終えるにあたり、「再転職することになって良かったな。」と思い切りホッとしました。



昼休みになりました。
昼食後、建物の最上階へ。
北西には、どっしりとした愛宕山が。



そして北東には、遠くに比叡山が見えています。



この日の勤務時間が終わり、無職の身になりました。
さようなら、2ヵ月半あまり過ごした職場よ・・・・・、と別れを告げる時間もそこそこに。
だって、2時ちょうどに勤務を終え電話で退勤を記録し戸締りしてから、即撤収。
そして、2時8分発の地下鉄に乗らなくてはならないからです。
小走りで駅に向かい、何とか2時8分発の地下鉄に乗りこむことができました。
地下鉄の太秦天神川駅に到着。



まずは、蚕ノ社を目指すことに。



ひっそりとした住宅街を5分あまり歩き、蚕ノ社に到着。



鳥居前へ。



説明板。



鳥居をくぐり木嶋(このしま)神社へ。
拝所です。
蚕養神社(こかいじんじゃ=蚕ノ社)は、この奥にある木嶋神社本殿の更に奥にありますが、時間のこともあり今日はスルーします。



蚕ノ社に向かう道にある鳥居。
おそらく蚕ノ社の鳥居。



鳥居をくぐり階段を5,6段下ると、元糺の池(もとただすのいけ)跡。
元糺の池の水が都市化の影響で枯れてしまったとの説明をネットでよく見ますが、私は「都市化の影響」といった一般論ではなく、地下鉄の建設が原因となった可能性があるのではと考えています。
ここ蚕ノ社と地下鉄線路の距離と似たような距離にある、五条の「命婦稲荷神社(鉄輪社)も、地下鉄工事の影響で境内の名水が枯れてしまったからです。



池があった時には「池に手足を浸すと病気にかからない」とされていました。
元糺の池の階段。



元糺の池は三本柱の鳥居までつながっているのですが、三柱鳥居は神域にあり立ち入りできず、途中でこのような竹柵が設置してあります。



竹柵を見ていると、ベロチョン(ベロ出しチョンマ)の話を思い出しました。
でも、ベロチョンに出てくるのは竹矢来なので、竹柵とは無関係。
最近はこうした竹柵をとんと見かけなくなったので、思わず思い出したんでしょうね。



三柱鳥居(みはしらとりい)。
何度見ても不思議な鳥居です。



三柱鳥居の写真をもう一枚。



木嶋(このしま)神社の鳥居をくぐってすぐ右にある建物。
特徴ある屋根です。



魔除けでしょうか。
鬼瓦の下部にこんなものがありました。



広隆寺方向へ向かいます。
三条通と言えば「河原町三条」などの繁華街を連想しがち。
でも三条通は、山科区四宮から右京区の嵐山まで続いていて、歴史が古い街道のため沿線にはレトロチックなものが散見できます。
私も東海道57次ウォークの際には、三条通のレトロな雰囲気に触れ感動したものです。



「何だか懐かしい」と思える風景が、京都市街地に残る。
そんな場所っていいですね。
その一つが、ここ太秦なのです。



京福電鉄の電車がゴトゴトと路面を進んできました。
2010年から2012年にかけて再塗装された、京紫色の車両でした。
中には着物姿の可愛いお嬢さんが。



広隆寺前通過。
先を急ぐので寄りません。



京福電鉄嵐山線(嵐電)が、路面から専用軌道へと変わる場所。
そうそう。
もう10年ほど前になりますが、モスラ号で嵐電線路敷がある三条通を走っていて転倒し、大けがをしたことがあります。
バス停に停まっていたバスを追い越そうとして嵐電の線路敷に入ったら、バスが発進。
スピードを上げてバスを追い越してから嵐電の線路敷を横切って道路端に戻ろうとしたら、降り始めた雨でスリップしやすくなっていた線路でっスリップし激しく転倒。
ヘルメットは大きくへこんだものの頭はヘルメットで守られて無事でしたが、右肩に骨が飛び出しているのが触るとわかるほどのケガをしてしまいました。
鎖骨骨折は確実でしたが、遠くで入院するのが嫌だったので痺れた右肩をかばいながら何とか自転車で帰宅し病院へ。
骨折が判明しましたが、なぜかその日は無処置で帰らされました。
翌日に入院し手術。
2週間以上の入院になりました。
ふとそんなことを思い出した、嵐電の線路敷です。



大映通り商店街へ。



嵐電北野線に、今年4月に新駅が開業したんですね。
すっかり忘れていました。



大映通り商店街の中ほどにある三吉神社へ。
ここ三吉神社は、実は映画と深い関係があるのです。
1928年に始まった太秦日活撮影所の建設で建設場所にあった竹やぶが次々となくなっていき、竹やぶで暮らしていたキツネやタヌキ達が行き場を失ってしまいます。
そのことを哀れに思い造られた神社なのです。
元々この付近の竹やぶには「三吉稲荷」と「中里八幡」という小さな祠があったのですが、前述のことで2つの祠を1カ所にまとめてお祀りしたものが今の三吉神社。
1930年に完成し、1981年には先ほど私が訪れた木嶋神社(蚕の社)の境外社となったのです。



牧野省三先生顕彰の碑。



秦氏が日本に持ち込んだ八幡信仰は、古代イスラエルと関係があるとも言われています。
稲荷信仰もしかり。
とにかくこの太秦周辺は、秦氏の匂いがプンプンします。
長くなるので省略しますが、太秦という地名そのものが「太(拠点)秦(秦氏)」だともいわれていますね。
太秦の読み方については。
機織りの技術者集団だった秦氏は、絹布を大和朝廷に対する租税としていたようです。
ゆえに、ここ太秦には絹布が「うず高く」積み上げられていました。
そんなこともあり、秦氏は朝廷から「兎豆満佐(うずまさ)」の姓を与えられましたが、そのことが地名の読み方に由来するという説が有力。



池永浩久(いけながこうきゅう)氏寄贈の石鳥居。
池永氏は、太秦発声映画を設立し、現在の東宝の創成期に 深くかかわった人物。.



三吉神社をあとにして、商店街をさらに進みます。
いい感じのお店が。



ショーウインドウには3枚の映画のポスターが。
ガメラ対ジャイガー。



黄金バット。



酔いどれ波止場。
いずれのポスターも最高。



2013年3月14日に、大映通り商店街にやって来た大魔神像を発見!
かつて太秦にあった大映京都撮影所で1966年に制作された元祖特撮映画『大魔神3部作』のヒーロー大魔神が、何と50年もの年月を経てキネマのまち・太秦に再び戻ってきたのです。
スーパーの前に設置された大魔神像は高さ約5メートルで、映画イベント用に地元の美術会社(創造社)により製作され、1999年以来、倉庫に眠っていたこの像を「キネマのまち太秦のシンボルに」と修復したものなのです。



大魔神像の説明。



株式会社松竹京都撮影所。
映画村を除くと、太秦に唯一存在する撮影所になります。
門前では、時代劇の扮装をした人たちを見かけることができます。



撮影所の内部は、高い壁に阻まれて見ることができません。
そこで、手を伸ばし頭の上にカメラを持って何も見えない状態で撮影。
するとこうして撮影所内部が写りました。



大きな岩がある場所があったので、ヨイショと岩に上ると内部が見えました。
さて次は、蛇塚古墳を目指します。



カンカン照りの中を散々探し回っても、蛇塚古墳は見つかりません。
何度も来たことがあるのですが、以前のことなので詳しい場所が思い出せません。
地元の人に尋ねてもわからない。
小一時間歩いて、やっと蛇塚遺跡を知っている地元の人がおられ詳しい場所を教えてもらえました。
その場所は、何と先ほどまでいた松竹撮影裏の高い塀の近くでした。



石室内に蛇が生息し、岩の間を出入りしていたことからついた名前が「蛇塚古墳」。
名前は異様ですが、奈良の石舞台古墳にも匹敵する規模の立派な古墳でした。



住宅街の中にポツンと存在する不思議な古墳。
大規模だった墳丘の封土は完全に失われ、現在は露出した石室のみを残しているだけ。



史跡に指定されている蛇塚古墳。



石室の岩の崩落を防ぐため、鉄製の補強具が施されています。



蛇塚古墳の説明。



読むと、かつてはかなりの規模だったことが分かります。



蛇塚古墳を後にして、帰路に。



でもあと一か所だけ寄り道。
秦氏ゆかりの大酒神社です。



大酒神社の由緒書き。



手水舎がありました。



でも残念ながら、水を利用できる状態にはなっていませんでした。



4月から就いたマンション管理人の仕事。
自分なりに一生懸命勤めていましたが、勤務場所が遠いのに加え、仕事内容があまりにも私に合っていませんでした。
そこで、2ヵ月半あまりで辞めることになりましたが、全く後悔はなし。

月曜日から勤め始める仕事は、仕事内容が私にぴったり。
私のこれまでも経歴も加味して採用に至ったのも、嬉しい限り。
採用前の面接時に勤務現場を見せていただきましたが、「こここそ私の居場所だ!」と強く思いました。
月曜からの新しい職場での勤務が楽しみです。

2ヵ月半勤めた職場よ、さようなら。
いくつかの新しい出会いがあった職場でしたが、全く未練はありません。
そして・・・。
新しい職場よ、こんにちは!!
よろしくお願いしま〜す。




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