3月末、臨時的任用職員として働いていた職を、年齢の関係で退職。
4月1日から、今までとは全く違う職種のパート勤務を始めました。

パート勤務なので、時給は1,000円にはとても届きません。
なのに、1日の勤務時間は4時間のみ。
しかも週休1日だけ。
加えて、勤務場所が宇治からはるかかなたの京都市北西部。

初めての仕事であることに加え、遠くまで毎日行くので結構疲れます。
それでも何でも!
仕事を始めて2日目のこの日は、京都のサクラの花が満開の土曜日。

勤務は午後2時に終わるのに加え、毎日「地下鉄1日乗車券」を買って通勤しているので、地下鉄はどこででも乗り降り自由。
そこで、この日。
勤務の帰路に蹴上で地下鉄を途中下車し、サクラの花を楽しみました。


本日のウオーキング歩数、26,934歩、消費カロリー3,016kcal(うち活動消費カロリー1375.2kca)、燃焼脂肪量51.7g。


2016年4月2日(土)




地下鉄の蹴上駅で下車すると、インクラインの素敵なサクラの花が花が目に飛び込んできました。
ただ、サクラの花の満開の土曜日なので人が極端に多いのと、加えて天気がイマイチなので旧インクライン軌道敷はさっさと通り過ぎることにします。


人で溢れかえるインクライン跡や疎水公園と異なり、疎水公園の一角にある義経大日如来の前には人ひとりいませんでした。
この付近で、奥州へ金売り吉次と共に向かう牛若丸に、馬に乗った9人の武士が泥水をかけてしまいます。
しかもその武士が平家の者だと知った牛若丸は激怒。
平家の侍を全員斬り殺してしまいます。
9人の平家の武士を切り殺した後、冷静になった牛若丸はその行為を深く反省。
切り殺した侍の数と同じ9体の石仏を造ります。
しかしその後 石仏は散逸し、今でも残るのはこの1体のみ。
山科には、その際に牛若が刀の血を洗った「血洗い池」が今でも京都薬科大学の校内に残っています。
そして、その付近の地名は何と「血洗い町」。
その「血洗い町」という地名は「不動屋さん泣かせだ」と新聞で読んだ記憶があります。地名が血洗い町だと不動産が売れないからです。不動屋さんは血洗い町の物件案内の際、「血洗い町」という地名の前に「歴史的に伝わる話に由来する地名」との注釈をつけています。
この地の蹴上という地名は、平家の武士が乗った馬が泥を蹴上げたことに由来するとされています。



この石仏がそんな由来があることを示すものは、「義経大日如来」と刻まれた花をお供えするこの石製の花瓶のみ。
多くの人が訪れているのに、義経大日如来のことを知っているひとは皆無に近いようです。



九条山浄水場ポンプ室。
第二疏水の建設に伴い、京都御所へ送水するための「御所水道ポンプ室」として1912年に完成。
大正天皇が疏水を舟で下って視察する計画があったため、疏水に面した側に立派な玄関が設置され、更に豪華な装飾が施された立派な建物となりました。



日向大神宮に向かいます。
道脇にきれいな花が咲いていました。



日向大神宮に到着。



外宮。



内宮。



少しだけ標高を上げ、天岩戸へ。



天岩戸の内部へ。



天岩戸内部にある戸隠神社に参拝。
ここに参拝すれば穢れが清められ、開運・厄除けのご利益があるとされます。



外に出ました。
天岩戸内部をめぐるのに、懐中電灯などの明かりは不要です。
それだけ短い岩戸なのです。



天岩戸付近から日向大神宮を見ます。



日向大神宮の本殿に戻ります。



日向大神宮に、不思議な鳥居がありました。
この向こうは山で何もありません。
いったい何のための鳥居なんでしょうか。
鳥居の向こう側に道でもあれば、鳥居の向こうからやってくる参拝者のための鳥居ということも考えられますが、道などもありません。
ただ、この一角の一部には木製のベンチが新たに設置されていました。
何か、由緒ある場所なのかもしれません。



山つつじの花が、そろそろ盛りを迎えそうになっていました。



第二疏水の水。
船運なども目的とされた第一疏水と異なり浄水の供給を目的とした第二疏水は、琵琶湖からほとんどのコースが暗渠かコンクリートの導管を通ってここ蹴上まで流れてきます。
その第一疏水と第二疏水の水は、ここ蹴上でいっしょになります。



蹴上発電所への水圧鉄管。



疏水分線への流れ。
この水が南禅寺近くにある水路閣へと流れていきます。



疏水分線沿いに南禅寺方面へと進みます。



水路閣に到着。
左岸から、水路閣上部を眺めます。
前方の流れの幅が広くなっている部分は、もう水路閣の上部です。



右岸からさらに水路閣に近づき、水路閣上の流れを見ます。



水路閣の下部へ。
南禅寺付近もかなりの人出。



レンガ造りで素敵な水路閣ですが、レンガが使われたのは当時は貴重品だったコンクリートの節約のため。
ここ山科付近では、上質の粘土がとれるのです。
その粘土を利用して、大量のレンガが製造され疎水建設に使われました。
「砥の粉」と呼ばれるものは、日本でただ1ヵ所 良質な粘土が採れるこの付近の山科でだけ製造されているのです。



南禅寺付近のサクラの花も見事。



岡崎公園へ。
「京都さくらよさこい」が開催されていました。
京都さくらよさこいは、若者の踊り子が4,000人、総観客数は30万人にも上る大イベント。



「出番を前に緊張の一瞬」といったところでしょうね。



しばし踊りを眺めることに。
マイクで大音量の檄を飛ばしながら、激しい踊りが続きます。
巨大な黒旗も振られ、すごい迫力。



黒旗からスミレ色の旗に代わり、スミレ色の巨大な旗が激しく振られます。
旗が激しく打ち振られ、マイクから大音量の檄が流れる・・・・・。
50年前の学生運動とダブります。
若者のパワーって素晴らしいと思います。



再び黒旗に代わりました。
カッコいい!!



岡崎公園を後にして、疏水沿いのサクラの花を眺めながら川端通りの方に向かいます。



疏水を進む観光船
サクラの花の時期には最高の乗り物ですね。



夷川(疏水)発電所のダム湖が近づいてきて水量が増えてきました。
と言うか、ここもダム湖の一部なんでしょうね。



最高のサクラですが、天気が悪く日が差していないのがとっても残念
天候が良ければもっともっと素敵に見えるはずなんですが・・・。






関西電力・夷川(疏水)発電所の放流路。
発電の役目を終えた琵琶湖の水が流れ出ていきます。
この水は鴨川には流れ込まず、伏見まで流れて行ってもう一度発電の仕事をしてから、宇治川に流入するのです。



疏水の流れにサクラの花が映えます。












こういう角度も面白いもの。



鴨川沿いへ。
右が鴨川で、左が夷川発電所から流れてきた琵琶湖疏水。



京都市役所近くの、「高瀬川一之船入」へ。



高瀬川一之船入の説明。



高瀬舟
レプリカですが、当時の雰囲気がとてもよく出ています。



一之船入の奥を見たいとずっと思っていたんですが、その方向に行ってみて驚きました。
こんなものができているではありませんか!。



一之船入の最奥部から、
高瀬舟方向を望む。
さて、そろそろ帰路へ。



4月1日から新しい仕事に就き、その仕事が始まりました。

その新しい仕事の賃金は、現役時代の10分の1、先月3月末まで就いていた臨時職員時代と比較しても4分の1程度。
それでも当然ながらかまいません。

健康にさえ気を付ければ、今の仕事はあと10年以上続けることも可能。
全力で職務に励もうと思っています。

それに当然ですが、収入だけが大事なのではありません。
生涯現役(による社会参加)を目標とする私にとって、新たな仕事を得たことの喜びはとても大きいものなのです。

そんなことを考えながら、サクラの花を眺めて歩き続けた午後でした。





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