午後から親戚が入院している病院に見舞いに行き、その続きで宇治川周辺を歩きました。
午後3時半ころから歩き始めましたが、天気が良かったのと良い気候になってきたので素敵なウォークになりました。


本日のウオーキング歩数21,854歩、消費カロリー1,151.3kcal、燃焼脂肪量31.1g。

2015年10月4日
(土)



親戚が手術して入院している病院にお見舞いに行き、その続きで宇治公園周辺を少し歩きました。
全く知らずに歩き始めたのですが、この日は「宇治茶まつり」が開催されていたようで、宇治橋通りは歩行者天国になっていました。
その宇治橋通りへ。



「ほこてん」では車の心配をせずに歩けるので、とってもありがたいです。



「大阪屋マーケット」前へ。
ここは、大阪屋マーケット内の「大阪屋」です。
甘味処というか、お食事処ですね。



1960年代・昭和の雰囲気がそのまま残る素敵な建物。



宇治なのに「大阪屋」とは、こわいかに?
それなりに理由があるんでしょうが、全く不明。
大阪にある京橋という地名が「京都に行くために渡る橋だから京橋」と秀吉が名づけたのと、似たような理由なんでしょうか・・・。
おそらく全然違うでしょうね、(^_^.)



「綺麗どころ」を発見
さすがに、近寄ったりズームで写すことはできませんでした。



宇治橋西詰めに到着。



橋姫神社を目指して歩を進めます。



橋姫神社に到着。
鬼女になってしまった女性を祭ってある神社で、「悪縁を綺麗に洗い流してくれる神社」とされています。



橋姫神社にお参りします。



次に宇治川左岸堤防を目指します。



平等院境内の建物が見えてきました。



宇治川左岸から橘橋を渡り、橘島~塔の島と進んでいきます。



橘島は去年の増水で島の表面が水に洗われ、フェンスなどが壊れてしまいました。
加えて宇治川改修工事が行われているので、まだ当分はこんな風景が続くことでしょう。



塔の島から朝霧橋へ。
知らずに来たのですが、この日は「宇治茶まつり」のイベントが ここ塔の島で行われていたようです。
もう時刻が遅いので、後片付けが始まっていました。



夕陽に輝く朝霧橋。



宇治川上流を望む。



宇治川右岸に渡り、恵心院へ。
恵心僧都ゆかりの寺です。



恵心院は別名「花の寺」とも呼ばれていますが、この日の主な花は酔芙蓉(すいふよう)くらいでした。



酔芙蓉の白い花。
白い花は時間が経つにつれ、ピンクから赤にと色が変わっていきます。
その様子がさながら、人が酒を楽しむ時の様子に似ていることから「酔芙蓉」と名前がついたようです。



緑濃い恵心院境内。
境内はさほど広くはありませんが、塔の島でイベントが開かれて賑やかな時にも、実に静かな佇まい。



お参りを終えて山門を出ました。
山門を出た右側には、三本葉の松があります。



松の木の下には、三本の松の葉がたくさん落ちていました。



恵心院の敷地内にある大銀杏の木。
まだ紅葉していませんが、紅葉が始まると銀杏の実がたくさん落ちてきます。
それを拾いに来る人も、紅葉シーズンになると時々見かけることがあります。



滋賀県の南郷から流れてきて宇治発電所で発電の役目を終えた水が、宇治川に流れ出ている観流橋に到着。



観流橋の上から宇治発電所方向を眺めると、水鳥が羽を休めていました。



興聖寺(こうしょうじ)に到着。



興聖寺にお参りします。
琴坂へ。



興聖寺の竜宮門に到着。



お参りするため、本堂へ向かいます。



興聖寺本堂。



本堂の説明。
この本堂には伏見城の遺構である床板が、天井材として使われています。



天井に残る血の手形跡。
俗に言う「血天井」です。
徳川家康から、上杉景勝征伐の間の留守を命じられたのは鳥居元忠。
家康不在の隙をついて伏見城を攻撃してきた石田光成に対し奮戦したものの、最後には自決。
その霊を弔うため、血の付いた板間を天井材として使ったと伝わっています。



こちらには足跡が残っています。



本堂をあとにして、境内をゆっくりと眺めます。



竜宮門を出ました。
大吉山に登った時には、時々ここに至るコースを下りてくることがあります。



琴坂を下り宇治川方向へ。



宇治川右岸まで戻りました。
宇治川の上流、天ヶ瀬ダム方向を目指します。
亀石前通過。



民宿・亀石前を通過。



新洛巽亭。
洗濯物が干してある部屋が一つありましたが、今も営業しているのかどうかは不明。



宇治川右岸の東側はかなりの急傾斜。
こんな斜面が何十メートルも上に続いています。
数年前の大雨の時には、この傾斜が大規模に崩れ右岸道路も半分ほどが宇治川に崩落したこともありました。



天ヶ瀬ダムに到着。
宇治川再開発で、大規模な工事が行われています。



旧・志津川の建物。
今は、ニュージェック水理実験所になっています。



志津川発電所の遺構を見るため、山に入っていきます。
山道に入ってすぐに崖崩れ跡がありました。
通れないことはないので、慎重に進みます。



志津川発電所の遺構に到着。
蚊や蛇が怖いので、これ以上先には行かないことに。
転倒しないように慎重に進みます。
ケータイの圏外の可能性があるこの場所で転倒して動けなくなると、単独行の場合は非常な危険にさらされることになるからです。



これも志津川発電所の遺構。



旧・志津川発電所の建物と、天ヶ瀬ダム。



天ヶ瀬ダム。



天ヶ瀬ダムの工事現場。
AUMが「コスモクリーナー」と呼んでいた装置も、テレビで見るとこんな感じだったような気がします。
かなり以前のことなので、はっきりとは覚えていませんが・・・・。



天ヶ瀬ダムの少し下流側には、こんなトンネルが3本も掘られていました。
ダムの崩落や漏水による水害の心配はないのでしょうか?



白虹橋下流側にある仮橋。



白虹橋を渡って再び宇治川左岸に。
左岸を下流側に歩き、吊り橋付近へ。
この辺りではすでに日没を迎え、川面も薄暗くなり始めています。



吊り橋を渡り、再び右岸側を目指します。



観流橋。
ここではまだ日没を迎えていません。



間もなく日没を迎える夕陽に美しく照らされる、南郷から流れてきた琵琶湖の水。



観流橋の南詰で、夕陽を写すタイミングを待ちながら周囲をゆっくりと眺めます。
この角度で写真を写すのは、初めてのこと。



付近には、宇治川発電所竣工記念碑」が。
今も現役で発電を続ける、宇治発電所の完成を記念する石碑です。



1.水路総長 6137間
 隧道 5070間
 暗渠  440間
 開渠  627間
1.最長隧道 第1号 1357間
     第7号 1658間
1.使用水量 1秒時2000立方尺
1.有効落差 204尺
1.機械容量 48000馬力
1.送電線路 大阪線 22哩
    京都線  8哩
1.工事費総額 1600万圓
1.工事着手 明治41年12月
1.工事竣功 大正2年6月
  大正3年10月  宇治川電気株式会社

と刻まれています。



そうこうしている間に、ついに日没を迎えました。
観流橋付近から、十三重の塔の向こうに沈みゆく夕陽を眺めます。



素晴らしい夕陽に大感動。



ズーム解除。
こうして遠景で見るのも、とっても素敵。



素晴らしい日没を堪能。
帰路につきます。



観流橋の上から、俺また素晴らしい日没風景を観ることができました。
なぜか、「モチモチの木」に出てくる木のことを思い出しました。
勇気のある子どもだけが見ることができる「モチモチの木に明かりが灯る」って、ひょっとしたらこんな感じだったのではないでしょうか・・・・・。



「宇治って本当に光明媚な所だ」と、改めて感じました。
午後3時半から日没までの短時間のウォークで、これほど素晴らしい風景に接することができるのですから。



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