山背古道に秋探しに行ってきました。
前回の山背古道ウォークの翌週末に再訪問したかったのですがうまく都合がつかず、1ヶ月近くの時間が過ぎてしまいました。

秋の山背古道は、一年のうちで最も素敵な季節。

本日のウオーキング歩数、約35,000歩。(万歩計が行方不明中)。


2014年10月26日(




近鉄京都線の富野荘駅に到着。
今日はここから歩き始めます。



富野荘駅から30分ほども歩いたでしょうか。
国道24号線を渡る陸橋に到着。
陸橋上から南側を眺めます。
もう稲刈りが終わり、刈り取って不要になった麦わらを焼く煙が漂っています。



城陽市水気耕栽培センター横にある雨乞い地蔵に到着。



お地蔵さんがおられる祠。
お地蔵さんは、説明に書いてあるように祠の中の水がめで眠っておられます。



雨乞い地蔵をあとにして、花の小路を眺めながら山背古道目指して進みます。



おいしそうな柿の実がいくつも実っています。
そうそう、今年は我が家の柿は不作であまり実っていません。
今年は柿の実が不作の年なのかもしれません



ここにはミカンの実がきれいに色づいています。



二本松の碑に到着。
ここから山背古道に入ります。



山背古道を南進。
城陽市名木・古木のひとつである柿の木がありました。



名木・古木の柿の木には低い場所に実がついていないので、実をうまく写せません。
そこで、すぐ隣の柿の木の実を撮りました。



歩を進めます。
山背古道脇に驚くほど大きなダリアの花が咲いていました。
写真では大きさが分かりませんが、この花は直径が20cmほどもありました。



今度は、道路脇でかりんの実を発見。



順調に山背古道を南進。
天満宮前へ。



天満宮の北側山手には古墳があります。



龍福寺前へ。



龍福寺の門の近くには柑橘系の木が。



どうやら八朔の実のようです。
秋の山背古道ウォークは、季節のフルーツを眺めるという楽しみもあるのです。



更に歩いて青谷聖家族幼稚園近くの車道を横切り、細い地道を通ります。
地道が終わり舗装路を少し歩くと、右側にこんな大きなミカンが。
実の直径が20cm近くあるのでブンタンの仲間だと思われますが、名前は不明。



市辺共同墓地へ行く橋を渡り、青谷川左岸へ。
左岸を、ススキの花を眺めながら下流に向けて西進。



前回(1ヶ月前)に来た時に、その変貌に驚いた風景。
歩いていた人に何ができるのか尋ねると、工業団地ということでした。
第二名神高速道路がこの辺りに計画されていることもあり、この地域はまだまだこれから変貌していくことでしょうね。



青谷橋の少し南で、青谷橋から山城多賀へつながる道を少しだけ歩き、そして細い道を入り山城多賀局がある東側に向かいます。
路傍の石地蔵。



山城多賀フルーツラインでは何台もの観光バスを見かけました。
ミカン狩りの好シーズンだからでしょうね。
高神社に到着し、ここで昼食。
メニューは、おにぎりとカップ麺。
おかずにエビチリを持ってくる予定だったんですが、冷蔵庫から出すのを忘れて持ってきませんでした。(@_@;)



井手町には、ゲンジボタル保護条例があります。



食事を終え、ウオーク再開。
高神社の前を流れる南谷川(左側)と、蛇谷川(写真右端)との合流点。
蛇谷川と言う名前と、そしてここ合流点の川幅の広さと深さがずっと気になっていました。
調べてみるとやはり名前通り蛇谷川は、過去に何回も土石流災害があった川のようです。
蛇谷川は井手町の土砂災害警戒区域の筆頭として、京都府のホームページで情報提供されていました。



穏やかな蛇谷川。
「どうか人々に災いを運ばないでおくれ。」と念じながら眺めます。



少しだけ山背古道を外れて、蛇谷川沿いへ。
山背古道を外れて数十メートル進むと石地蔵がありました。



再び山背古道へ。
狭い上り道を上がりながら、亀甲竹を左に見ます。
私が知らなかった亀甲竹という名前は、私のホームページに訪問してくださっている「みちくさ」さんから教えていただきました。
亀甲模様の竹の節は、竹が成長し節と節の間が開く上部では亀甲状ではなくごく普通の竹の節だということが、今日の観察で分かりました。
つまり成長した亀甲竹は、下部の節が亀甲状で、そして上部は普通のの竹と同じ節という、いわば「二部構成」なのです。



茶の木の花。
茶の木はツバキ科で、ツバキと同じくこの時期に花が咲きます。



細い道を抜けて、車が通れる道路へ。
でももちろん、車など1台も通っていません。
奥嵯峨を思わせるような竹林の間を歩いていると、足元に沢蟹がいたので驚きました。
結構標高を上げたんですが、近くに谷川があるんでしょうね。
小さな沢蟹を見ていると、これから行く蟹満寺の蟹の言い伝えのことを連想しました。



少し下って、左折し少しだけ上り坂に。
井手町図書館と山城勤労者福祉会館の近くを過ぎると道は平たんになり、高原散歩を思わす優雅な道に。
コスモスの花は、もう花の盛りを終えていました。



青空に映えるススキの花。



左折箇所にある地蔵堂。
中には石地蔵の祠がありました。



山背古道ウオークの最大の魅力のひとつは、このような路地歩き。



今日も時間の関係で地蔵禅院には寄れそうにありません。
禅院へ向かう坂道を眺めます。



地蔵禅院へ向かう阪の途中にある小野小町の墓へ。






2車線の道を横切り、椿坂へ。
とっても歩きやすい道です。
前回のウォークで、五里五里の旅人さんとお会いした場所です。
なぜか、「今日は五里五里の旅人さんは今日はおられないのかな?」とチラリと思ってしまうのが不思議。
おられるわけがありませんよね。



振り返ると何とも素敵な風景が。



井手町まちづくりセンター椿坂」近くには、こんな史跡が。



史跡と何か関連があるものなのでしょうか。



宮本水車跡へ。
今でも水量豊富です。



間もなく蟹満寺。
もうイチョウの紅葉が進んでいる場所もありました。



蟹満寺に到着。



その通りだと思います。
お寺って本当に感銘する言葉が書いてあります・



境内をゆっくりと周ります。



本堂へ。
蟹満寺に着く直前に渡る橋の近くで元気そうな男の子が行ったり来たりしていましたが、私が蟹満寺に向かうと私の後を追うかのようにその子も蟹満寺にやって来ました。
一度姿が見えなくなったその男の子を、本堂近くで再び見かけました。
本堂付近から自転車に乗ってお出かけの様子だったので、おそらくその子は蟹満寺の子どもさんなのでしょうね。
蟹足・・・・基!蛇足ですが、その子の自転車には蟹のマークは付いていませんでした。



本堂横の軒下にかけてある「蟹の縁起」の額。
旧本堂の時には正面にかけてあったので多くの人が見ていたのですが、本堂が新しくなってからは本堂横にかけられたため、この額に気づかない人もおられます。



境内には、様々な物に蟹が描かれています。



蟹満寺をあとにして再び歩き始めます。



山背古道ウオークの魅力である路地歩き。



花の盛りは過ぎたものの、とっても素敵なコスモスの花。



JR奈良線が天井川である不動川をくぐるトンネル。



不動川を渡る橋を越えると、対岸に「蟹の恩返し」のストーリーが。



「蟹の恩返し」の話の概略がこれを見ると分かります。















いかがでしたか?
この話を何度読んでも私には「蛇が悪い」と思えません。
「娘を嫁にやる」と約束してもらったので、貴重な獲物であるカエルを逃がしてやった蛇。
約束を守ってもらわなかったら怒るのは当然だと思うのです。
だから、蟹満寺で蟹と共に蛇の霊も慰められているというのがとっても嬉しいです。



酒を販売っているお店では何と、「筍焼酎」なるものを売っているようです。
でも日曜日で店が閉まっているため、現物の確認は残念ながらできませんでした。



JR奈良線の踏切近くに、こんな昔の学校の校舎によく似た建物が。
でもこの建物は学校ではなく、何と現役の会社の建物なのです。



先ほど見た、JR奈良線が天井川である不動川をくぐるトンネルの反対側。



ズーム。



棚倉駅近くにある筍卸売市場前を通過。



蟹満寺の案内。
描かれている蟹は、沢蟹にはあまり見えません。



JR奈良線・棚倉駅の、道路を挟んだ向かい側にある湧出宮。
766年に一夜にして森がまるで湧き出したように出現したため、「湧出宮(わきでのみや)」と呼ばれています。
この神社の正式な名前は、和伎座天乃夫岐賣神社(わきにますあめのふきめじんじゃ)です。



棚倉駅から少し歩いた場所にはもう、ツバキのような花が咲いていました。



春日神社に到着。
棚倉駅の手前からここまでは、山背古道の案内は路面に埋め込まれた案内プレートを含めて皆無。
ここ春日神社前の路面には、まるで思い出したかのような感じで1枚の山背古道案内プレートが埋め込まれています。



春日神社境内の灯篭。
このバツ印のような形は、チョウチョをデザインしたものだそうです。



椿井大塚古墳前へ。



椿井大塚古墳。
JR奈良線の線路の向こう側にあります。
時間の関係で今日は寄りません。



路地をどんどん進みます。



しばらく路地の風景が続きます。
間もな上狛環濠集落を経て国道24号線を渡るはず。



小林家住宅の大屋根を見るために、少しだけ寄り道。



秋を迎えた小林家住宅。



上狛小学校横の公園近くにも味がある家が。



上狛環濠集落に着きました。
大井戸に寄ります。



環濠集落の中を、なるべく音をたてないように歩きます。
何だか音を立てたら悪いような気がするので。
この土塀がある建物はお寺ですが、環濠集落内にはこうしてお寺もあったんですね。
外敵の侵入を防ぐには、集落を完全に閉鎖しなくてはなりません。
その状態が長く続くことも想定して大井戸が掘られ、そしてお寺も造られたのかもしれません。



環濠集落から出ました。
左側の建物が環濠集落内のもので、右側の建物は環濠集落外のものです。
外敵の侵入を防ぐための堀が狭いように思えるので、あるいは右側の道路部分もかつては堀の一部だったのかもしれません。



環濠集落の説明。



環濠集落をあとにして国道24号線を横断。
山城茶問屋ストリートに到着。
江戸時代末の神戸港開港により、この地からの宇治茶の輸出は急激に増大。
同時に山城地域や近隣での茶生産も飛躍的に増大しました。
加工された宇治茶は、ここ上狛浜から木津川~淀川~神戸のルートで海外へと輸出されていったのです。
つまりここ上狛の地は、宇治茶と共に発展・繁栄してきたと言えるのです。
しかし時は流れ、ずいぶんと様子が変わりました。
今日は日曜日の午後だというのに人ひとり歩いている姿はなく、辺り一帯はひっそりと静まり返っています。



山城茶業之碑。



説明。



こんな路地がありました。
今まで一度も歩いたことがない場所なので、少し寄ってみることにします。



建物そのものにさほど古さを感じませんが、デザインが実にいいですねえ。



これは当時のものの可能性が濃厚。
「車馬」というのは、「引き込む」という表現が使われていることなどから、おそらく馬や大八車などを差すんでしょうね。



山背古道へ戻り、茶問屋ストリートを前進。
かつて半鐘があったと思われる場所へ。
現代版の「半鐘」がありました。



先端部分には、半鐘でなくスピーカーが取り付けられていました。



廃業したと思われる時計店。
かつては繁盛していたのかもしれません。



泉橋寺に到着。



石造地蔵菩薩坐像。
泉橋寺の外にあるので、いつでも自由にお参りできます。



1470年頃、応仁ノ乱が南山城地方にも及び泉橋寺の地蔵堂が兵火で焼かれ、石仏も損傷。
それ以来今日まで、露座です。



損傷した頭部と両腕は長らく放置されてきましたが、1690年に補修されました。
横からその頭部と腕を見ると、補修されたことが感じられます。



補修された頭部。
柔和ないい表情です。



泉橋寺をあとにして、木津川右岸堤防上へ。
堤防上からも、石造地蔵菩薩坐像が見えています。



夕陽を浴びる泉大橋を渡ります。



本日のウオークの最終目的地に到着。
JR木津駅です。
さて帰路に。


山背古道は本当に素晴らしい道です。
特にすばらしいのがこの時期。
今回の様に同じ時期に何度か訪れても、訪れる時期がほんの少しずれるだけで、前回とはまた異なった素敵な顔を山背古道は私に見せてくれます。




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