山背古道が一年のうち最もいい表情を見せてくれる季節になりました。
快晴との予報のこの日、歌姫街道から山背古道の玉水駅まで歩くことにしました。

玉水駅は、4日前の山背古道ウォークで歩き終えた場所。
今日のウォークを予定通り最後まで終えることができれば、水度神社を起点とする山背古道と歌姫街道とを1本に結ぶルートを歩くことになります。

以前に行った山背古道と歌姫街道のウォークでは、山背古道全線を歩くことを優先させました。
それに対し今日のウォークでは、歌姫街道を全線歩き、そして歌姫街道の終点に最も近い地点で山背古道に入るコースを取ります。

今日のウォークは、5月の宇治発電所導水路を追うウォークで膝を痛めて以降、最も長い距離のウォークになりました。


本日のウオーキング歩数、約30,000歩。(万歩計が行方不明中)。


2014年9月27日(




大和西大寺駅に到着。
かつて私は、ここ西大寺駅近くにあった正強高校を会場としてお借りし運営されていた「私設・奈良夜間中学校」でボランティア講師をしていたことがあります。
1977年頃のことです。
私設・奈良夜間中学校は、奈良市教育委員会に対して私たちが粘り強く行った交渉の結果、1978年に公立化が実現しました。
今の、奈良市立春日中学校・夜間部です。
だからここ近鉄・西大寺駅前は、私にとっては自分自身の青春の一時期を濃厚に体感できる、とっても貴重な場所のひとつなのです。



道路の真ん中に堂々と鎮座するお地蔵様。
いいですねえ・・・・。
実にいい!



平城京跡が見えてきました。



せっかく来たので、復元された第一次太極殿跡に寄ることに。



建物内へ。
フリーで入場できます。
つまり、入場無料。



フリーで入場できる内部では、三脚やフラッシュを使わなければ写真撮影は自由。






大棟中央飾り。



大極殿の見学を終えました。



歌姫街道の南の起点である、佐紀町の交差点へ。
県道751号線が歌姫街道です。
ここを北上します。



歌姫街道を進んでいくと、道の中央に鎮座される石地蔵様が。



石地蔵様に手を合わせます。



秋ですねえ・・・・。



歌姫町のバス停に到着。



平城京で雅楽などを演奏する楽人達が住んでいたり、あるいは通っていたことに由来する「歌姫」という街道名と町名が、今でも残っているのです。
私にとっての歌姫は・・・・。
美空ひばりと藤圭子でしょうか。(^_^.)



昔は平城村だったんですね。



添御縣坐(そうのみあがたにいます)神社に到着。



参道へ。



お参りします。
添御縣坐神社の読み方は、何度覚えようとしても時間が経てば忘れてしまいます。



歩きを再開。
「歌姫越え」の坂を下ります。



「歌姫越え」を下り終えました。
のどかな風景が広がっているのを眺めながら歩きます。



この時期の街道・古道ウォークは、花見ウォーク。
素敵な花が咲き誇っている場所も頻繁にあります。



ならやま大通りの下をくぐると、周囲の様相は一変。
近代的な街並みに変わります。



ニュータウン内をひた歩き、歌姫近隣公園へ。
このずっと先の左側に歌姫史跡公園があるのですが、見落としてしまいました。



ごくごく最近に設置されたような感じの、そんな石の道標前へ。
あまり貴重な感じは受けませんが、それでも一応写真を写すことに。
その向こうには池が見えてきました。
皿池です。



皿池。
皿池と言うのは、ため池の総称のようです。
ため池には谷池と皿池の二種類があり、皿池とは人家近くにあり周りを堤防で囲まれた池のようですね。



水利に使うと思われる設備。



京奈和自動車道の下をくぐります。



のどかな田園風景が広がります。



歌姫史跡公園で昼食予定だったんですが、結局歌姫史跡公園に行けなかったので昼食を摂る場所が見つかりませんでした。
京奈和自動車道の高架下をくぐって少し進むと、石地蔵の小さな祠がある場所が左側にありました。
ベンチが置いてあったので、ここで昼食を摂ることに。
メニューは、塩昆布入りのおにぎり2個、ウインナーソーセージの炒めたもの、塩サバ、カニ蒲鉾と玉子の炒めたもの。
そして、カップ天ぷらそば。
ところが、熱湯入りの水筒を出し、カップ麺を出そうとして探してもありません。
いくら探しても見当たらないので、どうやらカップ麺をリュックに入れるのを忘れてしまったようです。
致し方なし。
汗だくの体を、強めに吹く東からの涼やかな風が癒してくれます。
豊かな田園風景を眺めながら昼食を摂る、の~んびりしたとってもいい時間が流れます。

この場所が「一本松」と呼ばれる歌姫街道沿いの一里塚だということが、帰宅し たくじろうさんのブログを見ていて偶然分かりました。
たくじろうさんに感謝!

あるHPにも「石地蔵に手を合わせる古老から聞いた話」ということで、「この一里塚には1969年頃まで一本葉の松の巨木があり、夜泣きする子どもにその松の一本葉を煎じて飲ませれば効果があると伝わる。」「祠の中の石地蔵は夜泣留(よなきどめ)地蔵さんと呼ばれ親しまれてきた。」との記述がありました。
だからここは、そういう不思議な話が伝わる、そして昔から地域の人々に親しまれ場所だったのかもしれません。



昼食を摂り終え、ウォーク再開。
間もなく歌姫街道の終点。



歌姫街道の終点に到着。
JR片町線の西木津駅近くです。



西木津駅。



無人駅の西木津駅ですが、しゃれたゲートがありました。



JR片町線の北側を歩いていましたが、特に見るものもないので南側に戻ります。



木津小学校前通過。
ここ木津小学校には、現役の時に数か月に1回程度は研修で来ていました。
運動会が行われているようです。



木津の古い家並みが とってもいい感じ。



山背古道へ入るため、少し北側へ。



JR片町線の線路を再び越えます。



和泉式部の墓所へ。



これが本当に和泉式部の墓かどうかは定かではありません。
和泉式部の墓とされるものは「京都の誠心院」「伊丹」「山口県」「亀岡の稱名寺」など数多くありますが、ここもそのうちの一つ。
ただ和泉式部は木津の出身とされ、晩年を木津で過ごしたとも伝わります。
ここが本当の墓所の可能性も捨てきれません。






山背古道のプレート。
今日は初めて見る山背古道のプレートです。






大智寺前を通過。



泉大橋南詰にある、自転車道の南の起点。



泉大橋を渡ります。
それにしてもいい天気。
空には雲一つありません。



泉橋寺に到着。



地蔵石仏は、「山城大仏」と呼ばれる高さ4.85mの「石造地蔵菩薩坐像」。
自然石花崗岩で出来た巨大なこの坐像は丸彫りの石仏として日本一の大きさを誇ります。
今は露座ですが、完成当時には立派な地蔵堂があったのです。



1295年に地蔵の石材が切り出され建造開始。
13年後の1308年に地蔵堂が完成し、それ以降は堂内に安置されていました。
しかし、1470年頃に起こった応仁の乱が南山城地方まで飛び火し、1471年に大内政弘の軍勢が木津や上狛を攻めて焼き払った時、泉橋寺の地蔵堂も兵火で焼かれてしまい石仏は損傷。
それ以来、地蔵石仏は露座のままになってしまいました。



頭部と両腕は戦火で傷みましたが、1690年に補修されました。
こうして側面から見ると、補修されたことが何となく分かります。



木津川市山城(旧・山城町)の茶問屋ストリート。
この辺りが茶葉の生産と流通の中心地になったのは、淀川に至る木津川の水運があったが故。
大阪を越えて神戸まで流通の流れがあったので、この辺りは昔は「東神戸」とも呼ばれていました。



国道24号線を横切り、上狛の環濠集落へ。



環濠集落は、外敵の侵入を防ぐため周囲を水路で囲まれてます。
通称「大里地区」のこの辺りは、中世以来 周囲を堀で囲まれ、長径約600m、短径約300mの楕円形をした環濠集落だったのです。



環濠集落内をウォッチ。
何度来ても、集落内を歩く時には音を立てないような行動になります。
上狛は、室町時代に興福寺領狛野荘を中心に構成されていました。
大里は狛野荘の「南之荘」の中心集落で、村や畑を堀の内側に置き、土塁を築き竹藪や雑木林を設け その内側に家がありました。



環濠集落内の大井戸。
今でも家の人が、飲料以外ですが水を打ち水などの生活用水として利用されています。
当時の人々は、郷あるいは垣内(かいと)と呼ばれる共同生活単位で暮らし、その当時の名残で今でも「角垣内」等の7つの郷名が通称名になっています。



環濠集落をあとにして少し北上。
上狛小学校前へ。
ここ上狛小学校でも、運動会が行われていました。



次に浄土宗「西福寺」の手前を東に入り少し行った所にある、京都府指定文化財の「小林家住宅」へ。
築300年の民家で、江戸時代の初期1665年に建設、南山城では最も古い民家です。
主屋・土蔵・長屋門からなり、主屋は土間と座敷で、その座敷は4つの部屋に分かれています。



小林家住宅の説明。
家の敷地内にあり、いつも心の中で「ごめんください。」と言いながら見せていただきます。



大屋根。
いつ見ても、その巨大さに圧倒されてしまいます。



更に北進。



池の向こうの土手の上に、奈良線の線路が見えています。



ドンドン北上。



椿井大塚古墳前を通過。



春日神社前を通過。



素敵な風景を眺めながら、次は蟹満寺を目指します。
でも、あまりゆっくりとはしていられません。



蟹満寺に到着。



「蟹の縁起」の蟹満寺境内へ。



境内には、カニをデザインした様々なものが。



蛇に巻きつかれた蟹の額。
旧本堂には正面に掲げてありましたが、新しくできた本堂では正面でなく建物の横に掲げてあります。
場所が分かりにくい位置になったためか、本堂が新しくなってからはこの額に気づかずに帰る人が多くいるようです。



陽がずいぶん傾いてきました。
先を急ぎます。
これはJR奈良線の「勝手踏切」。
線路ができた際、地元の人がそれまで通路として日常的に使っていたルートを正規の踏切でなく「勝手踏切」として横断することを黙認。
それから長い月日が流れた今も、その時のままの状態で利用されています。
でも、いくら単線とは言え、警報機も遮断機もない場所での横断はとっても危険。
時々、この「勝手踏切」が原因で列車の遅延が発生しています。
このような勝手踏切は奈良線に数多くあり、時々事故も起きています。
ただ勝手踏切は、江戸時代からある墓地へと続く参道や、スーパーや病院に向かう高齢者にとって便利な近道もあり、なくすにしては難しい問題もあります。



玉水駅に到着。
西大寺の歌姫街道起点から、4日前の山背古道のウォークを終えた場所まで歩いてきたことになります。
私の中で、歌姫街道と山背古道の二つの道を連続して歩くイメージが出来上がりました。



結構頻繁に乗る奈良線ですが、こうしたホームの風景にはとっても懐かしさを感じます。
今日も、とっても素敵なウォークができました。



新田駅に到着。
奈良線は、「車両トラブルがあった」とかで、私は帰路で乗る際に運休や遅れが発生していました。
だから、ここ新田駅に着いたのも、10分ほど遅れて。
夕刻に用事があるので、早く帰らないと!



歌姫街道を起点から終点に入り、そして山背古道に至る。
そのまま山背古道を北進して、山背古道の北の起点である水度神社に至る。
そのことが、完全にイメージできました。
機会があれば、歌姫街道と山背古道のダブル踏破をやってみたいと思います。

でも今日のウォークを終え歌姫街道と山背古道のダブル踏破はもうできそうだと分かったので、それよりも山背古道の全線往復に挑戦したい思いの方が強くなりました。

宇治発電所導水路を終うウォークの際に痛めた左膝は、まだ完全に治っていません。
明日はまた、整形外科にリハビリに行きます。
そんな状態ですが、今日の20kmウォークを終えても膝は特に不具合を起こしませんでした。
ここ2週間で、中距離ウォークを3回行いました。
そしてそれは、整形外科から聞いている「痛みさえ出なかったら、いくらでも歩いてください。筋肉をつけるために、その方がいいですよ。」とのアドバイスにもかなっています。

歌姫街道や山背古道で見た白壁の家や蔵の風景、そしてJR奈良線のレトロチックなホーム。
それらは私に、遠い遠い日のできことや、あるいは過ぎ去った過去の風景や生活など、とっても懐かしいことを思い出させてくれます。
今は亡き両親のことも。
そして、両親と共に訪れた両親の田舎の風景や、そこで見せた両親の笑顔のこともです。
今日は本当にいいウォークができました。



ホームに戻る
















inserted by FC2 system