久々に中距離以上のウォーク。
コースは、ずっと行こうと思っていた宇治発電所の導水路を追う南郷洗堰〜宇治発電所。
導水路の距離が11kmほどなので2時間ほどで歩けると考えていたんですが、JR石山駅から南郷洗堰まで結構距離があり、途中道を間違え、そして時間切れのため宇治方面に下らず用事があった六地蔵方面に下ったため、総距離は30kmほどになりました。

「山道だろう」との予想は外れ全線が舗装路だったのに加え、時間切れで超速歩で歩いたため、膝を痛めてしまいました。((+_+))
日曜日と月曜日の日中は痛い足を引きずりながら歩いていましたが堪らず、月曜の夕刻に整形外科を受診。
水を抜いてもらってから、膝の軟骨にいい成分を膝関節に注射してもらい、とりあえずは一度で治療完了。

ただ、撮ってもらったレントゲンで、膝関節はスポーツ選手などに多い状態の「荒れ」があることが判明。
ドクターから、「膝の酷使はしない方がいい。」と忠告されました。



本日のウオーキング歩数、約35,000歩


2014年4月19日(土)




地下鉄で山科へ。
ここからは、JRで石山まで向かいます。



JR山科駅と言えば、ここは絶対に外せません。
地下通路の天井にはこんなものがあるのです。
日本で3番目に開通した鉄道線である旧東海道線の山科駅は明治12年に営業運転が開始されましたが、その時の山科駅は今の場所ではなく今の地下鉄小野駅近くにありました。
現在の山科駅は、1921年(大正10年)に新路線の開通に伴いここに移転し営業を開始しました。
改札を通ってプラットホームに行く、新山科駅の当時の通路がここだったのです。
新山科駅は、当初2線だった線が戦時中に3線になり、更に1956年の電化などを経て1970年にも1線増えて4線になるなど線路や駅舎が繰り返し改築され、開業当初の面影は今はもう見られなくなりました。
でも当時のプラットホームに行く通路跡が、「新駅開業当初の私の姿を忘れないで・・・」とでも主張するかのように今でもこうしてひっそりと残っているのです。
でも1921年に使われ始めた駅舎の名残が今もここに残ることを、山科の人でも知る人は少ないようなのが残念至極。



JR石山駅で下車し、結構歩いて京阪電車の石山寺駅前へ。
電車に大きなお茶の絵が描かれていました。



石山寺駅前にはきれいな八重桜が咲いていました。






駅前には現役で活躍する丸ポストがありました。



この辺りはかつて蛍谷と呼ばれていたようです。
その説明。



近くに、崖に掘りこんだお堂がありました。



瀬田川の流れ。



歩を進めて石山寺方面に進んでいると、こんな庭園がありました。



説明書きにあった庭園。






石山寺門前に到着。



東大門。
重文に指定されています。



仁王像(阿形)。



石山寺境内。
ここには、1年ほど前に妻と共に西国三十三か所のご朱印をもらいに来ました。
それにJR石山駅からここまで結構遠かったので、中には入らず先を急ぎます。



石山寺で誕生したマスコットキャラクター「おおつ光ルくん」。
2008年の源氏物語千年紀の時に、誕生しました。
石山寺在住で、和歌を詠むこととローラースケートが得意な12歳です。
千年紀が終わった後は、こうして大津市をアピールしています。



南郷洗堰の少し手前。
ついに、宇治発電所の石山制水門に到着。



「関西電力株式会社 宇治発電所石山制水門」と書かれていたはずの門柱。
なぜか何も書かれていませんでした。



制水門付近から導水路を眺めます。



少し歩いて振り返り、導水路から制水門方向を眺めます。



導水路の上には小さな橋がいくつもありますので、右岸左岸ともに自由に歩くことができます。
左岸から右岸に渡り、導水路沿いの道を京都方向に進みます。
正面に見える山は、袴腰(はかまごし)山という名がついています。



導水路に架かる橋の上から、制水門方向を望む。



同じ橋の上から、下流側「呑口」方向を望む。



第一随道の流入口。
さてここからは、しばらく導水路とはお別れ。
山見とを延々と歩く行程に。
がんばるぞ!
エイエイオー。(と心の中で叫びます)



第一号道の流入口から急な坂道の住宅に。
「よくこんな急な坂道の住宅地があるな・・・・。高齢になって車に乗ることができないようになったら、絶対に住みたくない。」などと心の中で思いながら、汗だくで急な坂道を延々と歩きます。
かれこれ30分近く歩いたでしょうか、山頂・・・基!住宅地の一番上部まで歩き切りほっと一息。
そこから先は山道のようなので、家の外に出ておられた住民の方に「この道を行ったら天ヶ瀬ラインに出られますよね。」と尋ねると、あまりにも意外な言葉が返ってきました。
「いいえ。この先は家が二軒あるだけで行き止まりです。」と。
そこで持っていた地図を見せると、ここではなくこっちですわ。」と全く違う道を指し示されました。
やっちまった!?
いきなりの道の間違い。
住民の方にお礼を述べて、トボトボと来た道を下ります。



と言うことで、振り出し近くまで戻ってきました。
「いや違う!振りだし近くなんかじゃない。今日の場合の振り出しというのは、JR石山駅なのだ。」と考えてもみたものの、何の慰みにもなりません。
さっさと正しい道に行こうっと。



ってことで「正しい」道へ。
さすが水力発電の地、大きな電力施設がありました。
湖南変電所です。



南郷中学校前を通過。
やはりこの道は正しい道でした。
でもよくよく持参した地図を見ると、道を間違える必要などなかったかも。
でも、地図を見ながら歩くのって邪魔くさいんだも〜ん。(@_@;)



太いイタドリ(スカンポ)を見つけました。
イタドリは太い方がおいしいのですが、最近は太いイタドリをほとんど見かけなくなりました。。



未舗装の山道を想定して靴を選んできたのに、意外にも車が時おり高速で通る道でした。
京滋バイパス沿いをずっと歩いてきましたが、ここでバイパスをくぐります。
そろそろ天ヶ瀬ラインに入るのかもしれません。。



予想通り天ヶ瀬ラインに出ました。
南大津大橋北詰。



第一随道出口から、第二随道流入口方向を見ます。



黒いネットで導水路の水は写真ではよく分かりませんが、ネットの下で激しく渦巻く流れが視認できます。
激しい水の流れが、第二隧道流入口に吸い込まれるように入っていきます。



第二隧道の流入口付近に建つ「殉難碑」。
蹴上発電所の6〜7倍の出力を持つ宇治発電所は、日本の大容量水力発電所の草分け的存在。
琵琶湖から宇治までの高低差60メートル、延長距離10.985kmでそのうちの10.019kmは隧道。
そしてその隧道の掘削はほとんど人力で行われ、その工事は難渋を極めました。
難工事の末に完成した宇治発電所導水路ですが、それから月日が流れた1955年(昭和30年)7月10日に第三隧道の拡幅工事中に落盤事故が発生し、13名の方が生き埋めになられました。
この殉難碑は、その時の落盤事故で犠牲になられた方のために建立された慰霊碑。
碑の表には「殉難碑」、そして裏には1955年(昭和30年)7月10日の事故で亡くなられた13名の方のお名前が刻まれています。
碑は高さ1.33メートルで、1955年(昭和30年)9月15日に建立されました。
事故直後の新聞記事では この事故の人的被害が「12名死亡1名重症」と報道していますので、重症だった1名の方もその後 落盤事故が原因でお亡くなりになったことが分かります。
殉難碑の前で、心を込めて手を合わせます。



採石場近くの第二隧道出口側から見る、第三隧道の流入口。
ここにはネットは張られていません。

第三隧道に縁があるのはここのはずですので、本来なら先ほど見た慰霊碑はここに建てられるべき。
でも、何らかの事情でここに建てられなかったんでしょうね。
この辺り一帯が、電力会社以外の会社の私有地だからなのかもしれません。



第三隧道の流入口。
扁額があったような感じですが、もしもあったとしたら取り外されたか劣化して崩落した模様。




第四隧道流入口側から、第三隧道出口方向を望む。
結構長い露出型の導水路で、京滋バイパス二尾トンネル近くにあり天ヶ瀬ラインから至近。



トンネルからいきなり煙のようなものが噴出してきたら驚くでしょうね。



第4隧道流入口側の煉瓦製構造物。



歩を進めます。
天ヶ瀬ラインを下って滝ケ谷付近。
今はもう廃墟になってしまったぜんまい茶屋前へ。
ここは盛業中も、そして廃墟になってからも、その両方の姿を私は知っています。
経年により、ますます「それらしく」なってきた感があるぜんまい茶屋。



ぜんまい茶屋内部。
あまり小部屋に分かれたりしていないので、さほど違和感はありません。
でも昼間でも人の気配は皆無のこの付近。
あまり気持ちのいいものではないし、過去にすでに探索は済ませているので、今日は深入りせずスルー。



曽束大橋に到着。
第4隧道流入口からここまでは導水路が地表に出ている部分はありません。
だから西笠取経由でも、天ヶ瀬ライン経由でも、どちらでも可。
私は、天ヶ瀬ラインを歩いて、そしてここ曽束大橋から二尾経由で炭山まで行き、炭山から志津川方面へ下りながら第四隧道出口や第五隧道流入口を見る計画です。
だから、ここから二尾方面へ上がって行きます。



二尾の集落を通り過ぎ、池尾(いけのお)との分岐点へ。
池尾方面に行けば、池尾と、そして喜撰山揚水発電所から志津川に下る分岐があります。
しかしそちらには、宇治発電所の導水路関係のものは何一つないので、当然ながら炭山方面へ。



炭山方面へひた歩き、懐かしい笠取第二小学校前へ。
私はこの学校に5年間籍を置いていました。
4年間ここで働き、そして最後の1年間はここに籍を置きながら現職のまま大阪教育大で1年間、言語や聴覚「障害」児教育について学びました。
ここで担任した複式学級の体験は、未だに鮮明です。



炭山の里に到着。
しかし残念ながら、ここで時間切れ。
用事があり、六地蔵のまだ少し先まで行かねばなりません。
そこで予定を変更して、志津川方面に下って導水路の先を追うことは諦め、木幡方面に下ることに。



2年前の大水害の爪痕。
ここから六地蔵の先まで、かなりの速度で下りを歩きました。
途中で膝に激痛が走りましたが、根性で乗り切り何とか予定時間内に目的地に着くことができました。




念願だった宇治導水路を追うウォークが実現できました。
しかし、全線を歩き切ったわけでなく、しかも膝まで痛めてしまいました。

宇治発電所導水路の残りは、週末のトレーニングウォークで探索を貫徹する予定。
そして膝は、酷使しないよう気を付けなければ。

次の探索では、宇治発電所導水路の竪坑を見るのが最大の楽しみ。
はてさて。
宇治発電所導水路の竪坑、無事に見つけることができるでしょうか・・・・?!



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