夫婦で過ごす東北の旅の五日目。
今日は夫婦で、テレビの報道でしか知らなかったあの大震災の詳細を体感するため、田老地区の語り部の方の話を聴く日。

その後は、「日本三大鍾乳洞」のひとつである龍泉洞へ。
その次に、小岩井農場へ行く予定。
移動距離が結構あるので、忙しい一日になりそう。


本日のウオーキング歩数、13,161歩。(うちエクササイズウオーク7,745歩)、消費カロリー375kcal、燃焼脂肪量20.9g。


2013年10月29日(火)




浄土ヶ浜ホテルで迎えた朝。
フロントで、退職届を速達で発送してもらうよう依頼。



NHKの朝ドラマ「あまちゃん」の出演者の皆さん。
「あまちゃん」出演者の皆さんは、かつてここ浄土ヶ浜ホテルで宿泊したことがあったようです。



ホテルで朝食を済ませ、さっそく語り部さんが待つ「たろう観光ホテル」へ。
レンタカーのカーナビで「たろう観光ホテル」と入力し、20分ほどでホテルに到着。
鉄骨がむき出しのホテルを見て唖然とします。



たろう観光ホテルは6階建て。
一階と二階部分は、津波の激しい流れで完全に破壊され鉄骨だけの状態。
予約していた「学ぶ防災」の方と合流し、案内してもらうことに。



ホテルは部外者立ち入り禁止ですが、「学ぶ防災」の語り部さんの案内でホテル内へ。
内部の階段は、1階部分は完全に、そして2階部分は一部残っているものの床も抜け階段も破損し危険な状態。
ゆえに、ほぼ無傷で残っている外階段を利用します。
二階の状態。
端から端まで見渡せる「何もない状態」に津波の破壊力・威力の凄さを実感。



外階段の手すりもグニャリと曲がっています。
こんな高さまで海水が流れていたとは・・・。



五階部分。
ほぼ無傷で、営業していた頃の雰囲気が感じられます。



でも、少し離れた階段を見るとこんな状態。
四階から五階に上がる部分には、こうして建物内部の階段もが残っています。
ただ、途中で壊れていて危険なので内部の階段は一切利用できません。



六階部分へ。
ここ六階で、津波当日に撮影されマスコミには非公開の津波映像を、語り部さんの解説を聞きながら観ます。
次に、六階部分や屋上を語り部さんの案内で周ります。
周囲を見ると、まるで今もかつてもここら辺りには何もなかったかのような風景が。
しかしここには、震災前には間違いなく人々の生活の営みがありました。
震災前の田老地区は、小さいけれど明るくにぎやかな町だったそうです。



壊れた壁。
津波はここ六階までは上がって来なかったので、これは地震の激しい揺れによるものでしょうね。






何もなく更地になったこんな風景を観ると、「震災前の田老地区は、小さいけれど明るくにぎやかな町だった。」という言葉が胸にしみます。
写真中央右側に工事用の仮設建物と重機が見えますが、その前の道が山側に延びています。
その道は、田老地区の人達が移り住む高台の移転先への進入路です。



山側に延びるこんな道が何本もあります。
これは津波の際の避難用通路。
今回の津波では一部の人の避難が遅れたようで、ここを利用できなかった人々がいたのがとっても残念。



山手を見ます。
たろう観光ホテルの三階くらいの高さに、お堂でもあったのでしょうか。
石碑と建物の土台らしきものが残されていました。



三階部分へ。
何もない一・二階部分と比べると、残っている物もあるのが分かります。



残っているものがあるということは、一・二階部分より破壊度は低いということ。
でも逆に残っている物があることで、津波の破壊力の凄さが実感できます。



三階の天井。
鉄骨下部より上側部分のパイプ類が、流されずに残っています。
鉄骨が激しい水流に耐え、その結果鉄骨より上部のパイプ類も破壊をまぬがれたようです。



三階の床の惨状。
床の間があることで、かつてはここが客室だったということがかろうじて分かります。



三階の一部には、まだ壁が残っている部分も何ヵ所かあります。



でもこんな場所も。
同じ三階でも破壊状態がかなり違うのは、津波の流れと関係があるのかもしれません。



トイレ。
狭くて細長い形状ゆえなのか、元の形をまだ保っていました。



舟盛りの器が痛々しさを感じさせます。
でもここ「たろう観光ホテル」を津波が襲ったのは、チェックイン前。
ゆえに、ホテル内部での津波の犠牲者が皆無だったことは不幸中の幸い。



語り部の方の、たろう観光ホテルでの案内が終わります。
最後に、「たろう観光ホテル」三階を目に焼き付けます。






下まで下りてきました。
語り部の方は、次に周辺の案内をしてくださるそうです。



防潮堤へ。
総延長2,433メートル 海面からの高さ10メートルの堤防は、世界最大規模の防潮堤。
その防潮堤が今はこんな無残な姿に。
水位や波浪に異常があると消防団の方々が閉じて人々を守ってきた門が、今はなす術もなくぽつんと残されています。
門は小さく見えますが、開口部の高さが4.5メートルもあります。



津波のすさまじい破壊力は、強固な鉄筋コンクリート製の防潮堤を破壊し、壊れなかったある場所では亀裂が入り亀裂から上のコンクリートが水圧と流れで持ち上げられるという被害状態も。
「万里の長城」とも呼ばれた防潮堤を完膚なまでに破壊する自然の猛威に、今更ながら驚愕します。



防潮堤には流されずに残っている部分もあり、その堤防上に上がります。
破壊されてしまった第二防潮堤近くには、わかめの加工場が再建されていました。



学校の建物は残っていますが、学校の周囲には建物が全くありません。



背の高い建物は製氷工場。
この建物は津波で鉄骨だけになりましたが、既に再建されています。
写真右端のコンクリートで補強された崖に日本の白い線が引かれているのが分かりますか?



こうすればよく見えますね。
クレーンの向こう側の崖にひいてある白い線は、津波の波が到達した位置。
線が二本引いてありますが、下の線は昭和三陸津波の時の高さです。
その高さは、破壊される前の堤防の高さとほぼ同じ。
上の線は明治三陸津波の時の浸水ラインで、「明治三陸津波級の高さの津波が来たら危ないぞ!」という戒めで、下の線より更に5メートル高い位置に二本目の線が入れられたもの。
つまり、下の線は昭和三陸津波の浸水ライン、二本目の上の線は明治三陸津波の浸水ラインなのです。
ということは、10メートルの防潮堤では、明治三陸津波級の津波が来れば津波は堤防を軽々と越えてしまうということ。
今回の津波は、まさにその事態になってしまったということになります。



語り部さんと名残を惜しみつつお別れ。
そして、語り部さんから教えてもらった田老第一小学校の体育館近くにある昭和三陸津波後の「大海嘯記念」訓令碑前へ。



碑には五つの教訓が刻まれていました。
1 大地震の後には津波が来る
2 地震があったら此処へ来て一時間我慢せ
3 津波に襲れたら何処でも此の位い高所へ逃げろ
4 遠くへ逃げては津波に追付かる
5 常に近くの高い所を用意して置け
先人の知恵に心から感嘆。
今回の大津波でも、、近くまで迫った水は小学校のすぐ下にあるお寺の境内の階段までで止まりました。
確かに、.ここまで来れば間違いなく安全なようです。



裏面。
昭和三陸地震の詳細が記されています。
その時には地震から40分後に大津波が襲来したと刻まれています。



田老での行動を終え、次は盛岡を目指します。
途中で、日本三大鍾乳洞のひとつである龍泉洞へ寄ることに。
駐車場に車を駐め川沿いを歩きます。
その川の素晴らしいこと!
極端に透明度が高い水が、激しく流れています。






普段なら気にも留めずに通り過ぎる風景。
でも、今は違います。
水の清冽さに心打たれたので、大いに共感。



前方に赤い橋が見えてきました。
おそらくあの橋のところから龍泉洞に行くはず。



とにかく素晴らしい!
川の素晴らしさは奥入瀬渓流を圧倒しています。
奥入瀬渓流よりこちらの川の方が圧倒的に素晴らしいとさえ思えます。



赤い橋の上へ。
赤い橋はやはり龍泉洞へ行くための橋でした。
橋の上から川の下流を眺めます。



龍泉洞からの水が川に轟音を立てて流れ込んでいました。



龍泉洞から流れ込んでくる水。



川の水が素晴らしい透明度である理由が分かりました。
鍾乳洞から地下水が大量に流れ込んでいるから。






龍泉洞から流れ出た水は小さな滝を下り、こうして一直線に川に流れ込んでいます。



いざ洞内へ。
入洞する際に見た案内板には、「豪雨のため頭上からの湧水が大変多くなっています。頭上からの水にご注意ください。」と書かれていました。



入洞すると、確かに場所によっては頭上からかなり激しい水の滴りがありました。
そんな場所では波板が頭上に張ってありますが、あまり効果はなく結構ぬれねずみ状態に。(+_+)
それでもひるまずに歩いていくと、こんな淵がありました。
とってもいい名前なんですが、でも単なる長命ではなく可能なら「日常生活をほとんど自分で行える状態」の方がいいですねえ・・・。



洞内では清冽な水が恐ろしいほどの速さで流れています。
大雨の影響もあるのでしょうが、それにしても強烈な流れ。



龍の淵。



写真では水がほとんど流れていないようにも見えますが、実際にはそうではありません
水深が深い水が、ほとんど波立つことなくもの凄い速さで流れていました。



洞内はこのような狭い場所もあれば、体育館の屋根の高さほど天井が高い場所も。
でも概ね、天井は身長の二倍ほどでしょうか。
床に注目してください。
かなり濡れています。
これは流れている水のしぶきではなく、頭上から降り注ぐ水ゆえのこと。
それほど多くの水が頭上から降り注いでいるのです。



亀岩。
鍾乳石の形状からついた名前だと思われますが、偶然にもこの岩近くの流れにはさながら亀が首をもたげて泳いでいるような小さな岩もありました。



写真左下を見れば分かりますが、カッパなどの雨具を着込んだ人もいます。
それが不思議でないほど、洞内頭上から降り注ぐ水は多め。



洞内の湿度は99パーセントを越えています。
それでも気温が低いので、全く不快さはありません。



地蔵岩。
確かに、石地蔵にも見えないこともありません。



洞内には様々な形の鍾乳石があります。



洞内にはカラフルな照明も。



第一地底湖に到着。
水深が35メートルもあるとは驚き。
こ、怖い〜。



ん!?
鍾乳石って白い物だけではないんですね。



さほど広くない地底湖ですが、深さがすごいですね・・・・。



第三地底湖。
何と!
水深が98メートルもあります。
宇治市にある天ケ瀬ダムの高さが約72メートルなので、その高さよりも深いということ。
凄いですねぇ・・・・。



水深98メートルの第三地底湖。
溺れたら怖いだろうなって思いますが、よく考えると泳げない人にとっては水深が98メートルであろうが2メートルであろうが同じことなのかも。



この写真でも水の激しい流れはほとんど感じられませんが、実際には強烈な流れ。
救命具が備えてありますが、実際に転落者があった場合にはこの救命具はほとんど役に立たないだろうなって思います。
流れが激しいので、転落者があった場合にはあっという間にかなたに流されてしまうはず。



急な階段が。



下ります。
頭上からは激しい水の滴りが。(+_+)



洞の向こうに波板が天井にはめられている場所がありますが、あの部分はひときわ頭上から激しく水が降り注いでいる場所になります。



三原峠。
名前通り、階段を最も高い位置まで上がった場所になります。



三原峠の説明。



三原峠から少し下ると、第一地底湖が見える場所があります。



「第一地底湖展望台」という案内もありました。



展望台から見る第一地底湖。
高い位置から水深が35メートルもある地底湖を眺める。
凄い迫力!



展望台から更に下ります。



「守り獅子」がありました。



ライティングの効果も加わって、とっても神秘的な雰囲気が漂う洞内。



月宮殿まで戻ってきました。
今まで歩いてきたコースは一方通行でしたが、この辺りからはまた対面通行になります。



再び地蔵岩へ。



照明の色が次々と変わる場所もあります。



ずいぶん出口に近づいてきました。



洞穴ビーナスもあります。



これがビーナスかな!?



蝙蝠穴。
確かに蝙蝠が多くいました。



冷たく清冽な水が激しく流れています。



救命具が設置してある場所まで戻ってきました。
ここから出口に向けての流れは、川幅が狭くなっているので一段と速さを増しています。



洞内の水の流れ。
左側から右側へ流れています。
流れが速いので、フラッシュを使ってもこのように写ります。



水量が多いし速い流れ。
物が落ちたら一瞬でかなたに流されてしまいます。



出口に近い流れには、危険防止のためか流れの上にアクリル板でふたがしてあります。



小さな地底湖がありました。



長命の淵。
間もなく出口になります。



洞内から出ました。
何だか少しほっとします。



さて次は竜泉新洞へ向かおうっと。



竜泉新洞は、龍泉洞入洞券を持っていれば入ることができます。
ここ竜泉新洞は、昭和42年に道路拡幅工事の際に偶然発見された鍾乳洞。
ここは、龍泉洞とは全く違う雰囲気が漂っています。
人が入れないような小さな鍾乳洞の支洞が数多くあり、また洞内からはかつて日本列島が大陸と陸続きだったことを示すヘラジカの歯なども発見されています。



支洞内には、白くて瑞々しい形成途中の鍾乳石を多数みることができます。
洞内からはヘラジカの骨で作った櫛も発見されており、かつてこの洞窟には人が住んでいたと考えられます。



龍泉洞・龍泉新洞をあとにして先を急ぎます。
小岩井農場にやって来ました。
小岩井の上の敷地は広大で、車の右側に小岩井農場の敷地が見え始めたのに、入口まではまだ10分以上走らなくては着きませんでした。
やっと入り口から園内に入り時計を見ると、時刻はもう午後4時を過ぎています。
閉園まで、あと1時間弱。
それでもせっかくやって来た小岩井農場ですので、時間ぎりぎりまで楽しむことに。
前方には雄大な岩手山の姿が見えています。
その岩手山の姿に、まずは大感動!



時間があまりないのですが、園内を少しだけ周ります。



日が差す状態が変わったり、あるいは雲がかかったり消えたり。
岩手山の姿が刻一刻と変わります。



小岩井農場に来てよかったなと思います。
ただ・・・・。
あまりにも時間がなさ過ぎるのが惜しい限り。






土産を買うのと、それに加え乳製品を食べるだけでもう時間切れになりそう。
売店で土産を買うことにします。



結構多くの種類の土産がありました。
どっさりと買い込んだので、宅急便で送ってもらうことにします。



岩手山に雲がかかり始めました。



日没間近。



小岩井農場で日没を迎えます。
キャンプにでも来ているなら、そろそろキャンプファイヤーに点火してもいいといった雰囲気かな。
そんな素敵な夕景。



とうとう日が沈んでしまいました。



結構寒いのですが、売店で私はソフトクリームと牛乳、妻は牛乳をいただきました。
新鮮で濃厚で最高の味でした。



小岩井農場と岩手山に別れを告げます。
次は、夕食にわんこそばを食べに行かなくては!



小岩井農場から車で30分ほど走り、目的の蕎麦屋に到着。
わんこそばに挑戦!
私は150杯ほど、妻はその半分ほどいただきました。
蕎麦は美味しかったので、「次に来ることがあれば、わんこそばをせわしく食べるのではなく 普通の温かい天ぷらそばか何かを食べような。」と妻と話しつつ店をあとにしました。



宿泊先のホテル東日本盛岡に到着。
ホテル東日本盛岡は盛岡駅と繁華街の中間あたりに位置し、まずまずの立地。
ビジネスプランというか低い料金設定の部屋の予約だったので、「ベッドが二つ置いてあって、あとはテーブルと椅子それにテレビが置いてあるだけの狭い部屋だろうな。」と思っていました。
でも目的の階に上がり部屋を番号順にたどっていくと、なぜか私たちが泊まる部屋番号の1211号室だけが抜けていて見つからないのです。
「どうしよう!見つからない。」と思いながら探していると、廊下の一番奥に目的の2011号室がありました。
「なぜ番号順に並んでいない部屋があるんだろう?」と疑問に思いつつ、鍵を開けて中に入って入ってビックリ!

そこは、普通の客室を3つほど合わせたほどの広さがあり、どうやら特別室の模様。
しかも超豪華ルームで、金ぴかの蛇口などがついた風呂や洗面所がそれぞれ二ヶ所もあるではないですか。
そして写真を見て分かる通り、広い広い応接室があり、それ以外にこれまた広い広いベッドルームが。(@_@;)
「訳あり部屋か?」とも思いましたが、そうでもありませんでした。
設備自体は結構古めでしたし、たまたま空いていた豪華ルームをサービスで使わせてもらえたようです。
古めですがそれでも設備関係は清掃が行き届き、清潔感には溢れていて快適そう。

部屋を探すというハプニングがあったものの、とにかく部屋に入った後はほっと一息。
落ち着いた後、先ほど食べた蕎麦だけでは物足りないので外に食べ物の買い出しに。
店がもうほとんど閉まっていたので、コンビニで若干の飲み物と食べ物を仕入れ再び部屋へ。

部屋があまりにも広すぎてかえってくつろぎにくい感じでしたが、とにもかくにもこうして超豪華ルームで過ごす東北旅行最後の夜が更けていきました・・・。



今日も一日たっぷりと東北地方を体感しました。
そし今日は、被災地の語り部の方の話を聴けて本当によかったと思います。
語り部の方を通じて支払ったお金は「復興支援金」という名目でしたので、きっとその一部は復興にも役立つはず。

明日はもう帰らなくてはならない日。
あっという間に火が過ぎてしまいました。
今回の東北訪問では、次男の仕事が忙しいゆえ 仙台在住の次男とは会えずじまい。
でも次男が東北に在住していることで、東北地方がとっても身近に感じられました。

その次男は、転職のための努力が実を結び某採用試験に見事合格。
来年4月には京都に戻ってくることになります。
色々な意味でとっても感慨深い東北旅行になりました。




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