前回に続いて二回目になる「第二次琵琶湖一周ウォーク」を開始しました。
前回のウォークは浜大津から出発しましたが、今回の第二次琵琶湖一周ウォークは自宅の玄関を出発点に。
したがって、今日歩いた浜大津〜和邇は、初日ではなく第二次琵琶湖一周ウォークの二日目になります。


本日のウオーキング歩数、48,475歩。(うちエクササイズウオーク43,444歩)、消費カロリー1,981kcal、燃焼脂肪量133.8g。


2013年9月28日(土)




京都駅に到着。
ホームで大津へ行く電車を待っていると、智頭急行の「スーパーはくと」がやって来ました。



「スーパーはくと」にはパンタグラフがありません。
それはこの列車が電車ではなく、関西では最近ほとんど見かけなくなったディーゼル機関車だからなのです。



車体下部には「HOT」の文字が。
この「HOT」は、智頭急行沿線である兵庫、岡山、鳥取の頭文字を表しています。



JR東海道線・大津駅に到着。



歩き出す前に、ずっと気になっていた家を見に行くことに。
少しだけ、前回歩いた道を引き返します。



目的の建物に到着。
歴史がありそうな木造2階建ての家の真ん中に、コンクリート造り二階建ての洋風建物が建つという不思議な場所。
その真ん中の洋風建築の1階部分は二つに分かれていて、向かって左側は窓、そして右側は入り口らしきもの。
コンクリート造り二階建ての洋風建物の入り口らしきものの中を見て驚きました。
右側の入り口らしきものの中は通路になっており、通路の奥には また家が何軒もあるではありませんか。
つまりこの通路は、奥の家に行くためのいわば道なのです。



奥におられた方が出てこられたので、少しだけ話を聴くことができました。
「少しだけ」というのは、出てこられた方が出かける用があるらしく急いでおられたからです。
尋ねたことは、「これはいつ頃の建物ですか?」ということ。
即座に返ってきた答えは、「昭和4年にできた建物です」。
さすがに住民、とてもよく覚えておられます。



この建物がモルタルでなく鉄筋コンクリート造りかどうかは不明ですが、もしも鉄筋コンクリート造りだとすると・・・。
昭和初期の鉄筋コンクリート製二階建ての建物は極めて希少。
それが現存していてしかも現役の住宅として使われていることになります。



二階部分の上部には、精巧に造られた装飾が見えています。
当時の建築技術者の心意気でしょうか。
さて、ウォークのコマを進めなくては。



ネット上では結構有名な、浜大津の古本屋さんの建物前を通過。



先日の台風18号の大雨で、京阪電車の京津線の線路が大きな被害を受けました。
その中でも特に被害がひどかった大谷〜上栄町間は、台風が過ぎ去って2週間たった今でもまだ不通。
そのため代替バスが走っており、このバス会社の人はその代替バスの仕事でここに立っているのです。
ご苦労様です!。



浜大津港に到着。
中距離航行船「ビアンカ」を眺めます。



こちらは、外輪船「ミシガン」。



ビアンカのような力強さにはやや欠けますが、ミシガンは実に優雅。



琵琶湖第一疎水取水口前の入り江。
松原ヨットクラブがあります。



松原ヨットクラブがある入り江には、旧・三高端艇部(現・神陵ヨットクラブ)の艇庫があります。
少し前に妻と共に近江今津にある「琵琶湖周航の歌 資料館」を訪れ、三高クルーが琵琶湖周航の歌の原点を完成させたことを知りました。
その中心人物である小口太郎は26歳で永眠。
琵琶湖周航の歌の原曲である「ひつじぐさ」を作曲した吉田千秋は24歳で永眠。
共に端艇部に所属していました。
そんな歴史を少しだけ知ったので、この艇庫上部にある三高マークを見ると心が騒ぎます。



歩を進め、旧・琵琶湖ホテルの建物だった「びわ湖大津館」に到着。
琵琶湖ホテルは、滋賀県内初の国際ホテルとして1934年に建設されました。



びわ湖大津館には、古き時代の雰囲気がそのまま残っています。



びわ湖大津館の湖岸から浜大津方向を望む。



かつてなかったほどの今年の暑さ。
それゆえか、湖水が水草で覆われている場所も少なくありません。



もう間もなく10月になるのに、まだまだ暑い日中。
それでも湖水を渡る風はさわやか。
そんな風を背中に浴びながら、先を急ぎます。



道路に戻らずに、駐車場の中へ。
その目的は、これを見ること。
この松の木にはどんないわれがあるかと言うと・・・・。。



このように伝わります。



駐車場からまだ道路に戻らず、湖岸へ。
石地蔵がありました。
前回の琵琶湖一周ウォークでは気づかなかったもの。



国道161号線へ。
道路をひたすら北進していると、こんなものを発見。
台風18号の大雨で上流から流されてきたと思われる樹。
小さな溝のような川ですが、大雨の時にはすさまじい状況だったことがうかがえます。



更に北進。
日吉大社の三王祭の際に紳馬がつながれる場所を発見。



更に北進。
唐崎神社へ到着。



境内の名木。
三代目の松で、樹齢は推定150〜200年とされています。



明るく風光明媚な境内。



唐崎神社をあとにして更に北上。
地中海のような風景を楽しみながら速歩。



湖岸に多くの樹が根元から倒れていました。
通りがかった人にその理由を尋ねると、「台風18号の強風で倒れました。」と教えていただきました。
宇治市では強風をほとんど感じませんでしたが、琵琶湖岸では大木が根こそぎ倒れるほどの強風が吹いたようです。



日吉大社の山王祭で 神輿が船に乗る際にくぐる鳥居。



鳥居前の、車道と歩道を区切る柵。
よく見ると、柱の下に鍵が取り付けられており取り外し可能。
男衆に担がれ、あるいはトラックに乗せられた山王祭の神輿は国道を横切って湖岸に入ります。
それがこの場所なのです。



船渡御の説明。



三津浜跡を通過。



坂本城址へ。
以前はなかった 真新しい説明書きが。



明智光秀像。
これも以前はなかったものなので、どうやら新しく造られた物のようです。



明智光秀について。
どうやらこの辺り一帯が、新たに整備された模様。



鳥羽一郎氏が歌う「光秀の意地」の歌詞が刻まれた石碑。
歌詞が刻まれたこの石碑を見て、同行の運転手さんがいたく感激されていました。



湖岸の坂本城址から先は国道を通るのが、最も湖岸に近いルート。
第二次も第一次の時と同じく、基本的にはなるべく湖岸に近い道を歩くことにしますが、でも、国道を歩くのは極力避けたいので、国道を横切り旧道へ。
何と、ここにも坂本城址の石碑がありました。



坂本城・二の丸があった東南寺へ。



急がなくては。
東南寺境内をあとにして、国道の一つ西側を北に延びる旧道をどんどん歩きます。
心が休まるような素晴らしい家並み。



記憶の片隅に断片的に残るような懐かしい車を発見。
ナンバープレートはついているので、登録車?
おそらくそうではないでしょうね。



旧道が途絶えたので国道に入り、雄琴港に到着。



素晴らしい風景を眺めながらのウォークが続きますが、正午近くなり空腹はMAXに。
堅田の王将で昼食を摂るため、空腹と闘いながら激歩。



堅田の王将で昼食。
おいしかったぁ。(*^_^*)
昼食を終え再び歩くことに。
少しだけ南進。
つまり、今まで歩いてきた方角へ少しだけ戻ります。
堅田港に到着。



海に接しない京都府南部に住む私達。
そんな私達にとって、こんな漁港風景を見ることは最高のこと!



漁港には多くの漁船が停泊しています。



漁港をあとに。
漁港入り口前にある神社前通過。
「湖上安全」の文字を読むと、漁業の安全を念じる地域の人たちの思いを痛烈に感じます。



堅田漁港をあとにして、更に湖岸の道を歩きます。
畳を干している家を発見!
何とも懐かしい・・・・。
私が幼い頃には、我が家でもかつてこうして夏には畳を上げて大掃除をしていたものです。
そんなことをふと思い出しました。



土塀の上の鬼瓦(?)。



タイムスリップしたような、そんな懐かしさを感じる風景。



湖畔に立つ愛宕常夜灯。



出島(でけじま)の灯台。
灯台の案内板がないので、初めてこの灯台に来た時にはずいぶんと探したものです。
でも もう何回も来ているので、余裕で見つけることができました。
この出島の灯台は、1875年(明治8年)立てられた木造灯台。
高床形式で四隅の柱と中心に立つ支柱の計5本の柱で支えられ、高さ7・8メートルの支柱の頂部に火袋が取り付けられています。 
光源は1918年(大正7年)まではランプが使用され、それ以降電灯に切り替えられました。
1961年(昭和36年)9月の第二室戸台風により倒壊寸前の状態となる被害を受けましたが、地元の人々の熱心な保存運動により1972年(昭和48年)今 私たちが見るこの姿に復旧。
点灯は一度途絶えたものの、1989年(平成元年)に地元有志により再び点灯されるようになりました。



高さが約8メートル。
近くで見ると、かなりの迫力。
この灯台は決して観光資源などではなく、今もなお現役で夜になると点灯され、夜間に行きかう船の安全を守っているのです。



出島の灯台に至る集落。
外に出ておられた方に、色々と話を聞かせていただくことができました。
この集落は高齢化が進み、また空き家も増えているそうです。
「おたくら、ここに来て住んでみられたらどうですか?」なんてお誘いも受けました。
堅田の漁港には多くの漁船が係留してありますが、その多くは廃棄船なんだそうです。
漁船の素材が処理しにくいものなので、経費がかかる廃船処理ができずに放置してある船が多いんだそうです。



出島の灯台をあとにして、再び北進開始。
琵琶湖大橋方向に戻ります。
道沿いには、心休まる家並みが続きます。



湖岸ぎりぎりを歩きます。
琵琶湖大橋が再び見えてきました。
再びと言うのは・・・・。
先ほど昼食を摂った「王将」は、あの橋の近くだったからです。(^_^.)



琵琶湖大橋をズーム。



湖面に浮かぶヨットなど。
いいですねえ・・・・。



釣り人の姿も。



こちらは、自転車で運んできたビニールを湖水で洗う二人のお年寄り。
琵琶湖が実に様々な面で人々の役に立っていることの一端がうかがえる風景。



道の駅である「琵琶湖 米プラザ」前を通過し、湖岸ぎりぎりを更に歩き続けます。



「いそのボートハウス」前通過。
そろそろ湖岸のこの道が途切れ、間もなく「最も湖岸に近い道」が国道になってしまいます。
国道は極力歩きたくないので、このあたりで国道を横切り旧道に入ることに。



国道を横切り、JR湖西線の高架まで西進。
湖西線の高架下を越え、そこから再び北上。
湖西線・小野駅も過ぎ、間もなく和邇駅です。
まだ明るいので私はもう少し歩こうと思ったのですが、同行している方が「そろそろ歩くのをやめようか。」と提案したので、その提案に従うことに。
この後 和邇駅に着くと、電車が来るまで少し時間がありました。
そこで駅前の店で缶酎ハイを買って おいしくいただきました。
昼食にもビールを数本たしなんだんですが、まあ「飲酒歩行」は特に問題がないので別にいいですよね。




素晴らしい琵琶湖。
その琵琶湖を再び歩いて一周することができるなんて嬉しい限り。
月一くらいのペースで歩こうと思うので、琵琶湖北部は積雪期に歩くことになります。
雪深い湖北を歩くのがとても楽しみ。



ホームに戻る
















inserted by FC2 system